偕楽園の梅と階段の登り降り:2月の水戸を、脚で歩いた話

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2月23日、天皇誕生日。
水戸へ行ってきました。

偕楽園の梅まつり、
好文亭の見学、
弘道館。

朝7時から昼過ぎまで、5時間ほど歩いた1日のことを書きます。

目次

7時の梅林に、人はまだいなかった

偕楽園に着いたのは、7時ちょうどでした。
曇り空で、梅まつりの会場もまだ静まり返っています。

高台から園内を見下ろすと、
白梅と淡い紅梅が、
見渡す限りに並んでいます。

3,000本と言われる梅の木。
満開には少し早い木も混ざっていて、
それがかえって静かでよかった。

坂を下り、
池を回り、
また坂を登る。

偕楽園は起伏のある園内で、
歩いているだけで脚に自然と負荷がかかります。

でも、重さを感じる場面はありませんでした。

毎日続けている階段の登り降りが、
こういうところで静かに返ってくる気がします。

しばらく歩くと、千波湖沿いへ出ました。
川に空が映って、対岸に紅梅が点在しています。

その先に、茨城県護国神社がありました。
石段を上から見下ろすと、
参道が下まで真っすぐ続いています。

石段を降りながら、いつもの階段を思いました。
場所が変わっても、身体のやることは同じです。

好文亭に登る

梅林を抜けた先に、好文亭があります。

水戸藩第9代藩主・徳川斉昭が自ら設計した別邸で、
偕楽園の開園と同じ1842年に建てられました。
梅が咲く時季だけ、内部を見学できます。

入口を入ると、茅葺き屋根の建物が静かに出迎えてくれます。
縁側から庭を見ると、
石と苔と水鉢だけの、引き算のような空間。

その中に「楽寿楼」という部屋があります。

丸い窓がひとつ。
畳の間に灯篭がひとつ。

それだけです。
でも、なぜか長く立っていたくなる場所でした。

好文という名前は、梅の別名 “好文木” から来ています。

「学問を好む人のそばで咲く花」という意味があるとされ、
斉昭が梅と学問を重ねてこの場所を設けたと伝わっています。

梅まつりの昼ごはん

好文亭を出ると、ちょうど昼に近い時間になっていました。

梅まつりの会場には、屋台がいくつか並んでいます。

手に取ったのは、梅の花の焼き印が入った梅まんじゅう。
妻は梅酒の飲み比べセットも頼んでいました。
3種類がさっぱり→まろやか→深みの順に並んでいます。

私は運転手なので横で眺めるだけでしたが、
外の赤いテーブルに座って過ごすその時間が、
悪くなかった。

外の赤いテーブルに座って、ひとつずつゆっくり。

脚を使った後のこういう時間が、
旅の正直なところかもしれません。

弘道館の、静かな白梅

昼過ぎ、弘道館へ向かいました。
偕楽園から移動します。

弘道館は、水戸藩の藩校です。
斉昭が1841年に創設した、
当時最大規模の藩校と言われています。

敷地に入ると、「弘道館鹿島神社 第九代藩主徳川斉昭公創建」と書かれた幕が目に入りました。
朝に好文亭で感じた名前と、またここで繋がります。

書院に入ると、「尊攘」と書かれた大きな掛け軸が、
正面に掛かっていました。
静かな部屋に、その文字だけが置かれている。

格子窓の向こうに、
白梅が一本だけ咲いていました。

派手ではないけれど、
記憶に残る梅でした。

まとめ:梅を見にいける身体が、ある

この日、5時間ほど歩きました。

偕楽園の起伏、
好文亭への石段、
弘道館までの道のり。

どこかで脚が重くなることは、ありませんでした。

毎日の階段の登り降りを続けているのは、
特別な目的のためではありません。

でも、こういう日に歩けることが、
ちゃんと理由になっています。

梅は毎年、同じ時期に咲きます。
来年も脚が動くなら、また来ようと思いました。

続けることが、行ける場所を増やしていく。

おことわり

本記事は情報提供を目的としており、特定の効果・効能を保証するものではありません。

健康に関するご判断は、必ず医師・専門家にご相談ください。

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