“若さの残高” が減り始めたとき、気づいたこと
40代になって、朝の鏡に映る自分の顔を見て「なんだか疲れているな」と感じる日が増えました。
寝不足でもなく、特に体調が悪いわけでもありません。けれど、どこか輪郭がぼやけて見えるのです。
階段を2階分上がっただけで息が上がり、肩で呼吸をしている自分に気づきました。
数年前までは、こんなことはなかったのに―。
健康診断の数値は、まだ “正常” の範囲にありました。
それでも、自分の中で何かがじわじわと減っていく感覚がありました。
それは体力でも筋肉でもなく、「若さの残高」だったのかもしれません。
「そろそろ何か始めなきゃ」と思っても、ランニングも筋トレも続きません。
時間がないわけではないのに、気力が湧かないのです。
そんな自分を「意志が弱い」と責めたこともありました。
でも今になって思います。続けられなかったのは、意志の問題ではなく“設計”の問題だったのだと。
そんなある日、エスカレーターの横に並ぶ階段が目に入りました。
何も考えず、気まぐれのように一段目を踏み出した ―
それが、私にとっての “若さの再投資” の始まりだったのです。
続かなかった運動、続けられた階段:“仕組み” が変わると意志はいらない

私はこれまで、何度も運動を始めてはやめてきました。
ジムに通ってみても、数週間で足が遠のき、ランニングを始めても三日坊主。
「やる気が続かない」「飽きっぽい性格だから」― そう自分に言い訳をしていました。
でも本当の理由は、少し違ったのだと思います。
続けるための “設計図” がなかったのです。
たとえばジムに行くには、着替えて、移動して、時間を確保しなければなりません。
そこに少しでも “面倒” が入ると、人は簡単にやめてしまいます。
一方で、階段はどこにでもあり、準備も必要ありません。
目の前にある階段を “登るか登らないか” の選択だけ。
そのシンプルさが、私の中で大きな違いになりました。
思えば、階段を選んだ最初の日も、特別な決意があったわけではありません。
ただ、なんとなく脚が階段の方へ向かっただけ。
でも、その “なんとなく” が、結果的に人生を変える始まりだったのです。
登りながら息が切れるたびに、「これが自分の今の実力か」と少し悔しくなりました。
でも同時に、昨日より一段でも軽く登れたとき、心の奥に小さな達成感が芽生えました。
その繰り返しが、“続けられる感覚” を育てていったのです。
今振り返ると、階段の登り降りは運動というよりも、自分との対話に近い行為でした。
努力や根性で続けたというより、「自然とやってしまう仕組み」に出会えた ―
そう感じています。
階段を登るたび、体が少しずつ “利息” を返してくれるようになった

階段を意識して登るようになって、最初の数日は正直つらいものでした。
2階までで息が切れ、3階に着くころには太ももが重く、汗が滲む。
「これで本当に意味があるのだろうか」と、半信半疑のまま続けていました。
しかし、1週間、2週間と経つうちに、身体に小さな変化が現れました。
朝の通勤で階段を登っても、以前ほど息が上がらない。
夜の寝つきが良くなり、翌朝の目覚めが少し軽い。
ある朝、鏡に映った自分の顔を見て、「あれ、少し明るくなったかも?」と感じました。
それは劇的な変化ではありません。
でも、確かに身体が “応えてくれている” 感覚がありました。
このとき、私はふと「これはまるで、貯金の利息みたいだ」と思ったのです。
毎日少しずつ階段を登り降りすることは、時間やお金を投資することに似ています。
その瞬間は何の変化もなくても、ある日ふと、身体や心に “見えない配当” が返ってくる。
それが健康という “資産” の増え方なのだと気づきました。
さらに驚いたのは、身体だけでなく心の軽さも変わっていったことです。
以前は「運動しなきゃ」と義務感で動いていたのに、いまは階段を登り降りするのが楽しみになっていました。
「昨日より1段軽く登れた」そんな小さな実感が、日常のモチベーションになっていったのです。
いつの間にか、階段を登り降りするたびに “自分を好きになれる時間” が増えていました。
これは数字では測れない変化ですが、確かに私の内側に起きたことです。
身体が整っていくと、気持ちも整い、姿勢も自然と変わっていきました。
そのとき、私は初めて理解しました。
若さとは、見た目のことではなく、“自分を動かせる力” のことなのだと。
階段の登り降りは、まさにその力を毎日少しずつ育てる「健康の利息」だったのです。
階段の登り降りが “見えない資産” になる科学的な理由

階段の登り降りを続けるうちに、身体や心の変化を実感していましたが、調べてみるとその裏にはしっかりとした科学的根拠がありました。
つまり、私が感じていた「軽さ」や「前向きさ」は、気のせいではなかったのです。
たとえば、英国の大規模コホート研究によれば、1日6〜10階分の階段を上る人は、全死因死亡リスクが約9〜12%低下するという関連が報告されています。
また、カナダのマクマスター大学の調査では、1回あたり1分の階段スプリントを1日3回、週3日続けるだけで心肺機能が大幅に改善したといいます。
このように、階段の登り降り運動は「短時間でも高い運動効果を得られる」ことが証明されているのです。
階段を登る動作は、大腿四頭筋・ハムストリングス・臀筋群といった大きな筋肉を同時に使います。
これらは加齢によって最も早く衰える部分であり、「下半身の筋力低下」は転倒リスクや生活の質に直結します。
つまり、階段を登り降りすることは「老化速度をゆるめる運動」そのものなのです。
さらに、階段の登り降りには有酸素運動と筋トレの両方の要素があります。
心拍数が上がることで血流が促され、脳への酸素供給も増加。
その結果、集中力・判断力・記憶力といった “脳の若さ” にも良い影響を与えることがわかっています。
階段を含む日常的な身体活動についての系統的レビューでは、階段などの身体活動が主観的健康感や心理的ウェルビーイング(幸福感)と関連する可能性が示されています。
これは、単なる運動効果にとどまらず、「自分で自分をケアしている」という自己効力感がメンタル面に作用しているためだと考えられています。
こうして見てみると、階段の登り降りは、健康・筋肉・心・脳 ― すべての側面に小さな “配当” をもたらしてくれます。
その積み重ねが「健康資産」を増やし、未来の自分に利息を返してくれる。
つまり階段とは、最も身近でコストゼロの “投資口座” なのです。
出典:Stair climbing and mortality: a prospective cohort study from the UK Biobank
Do stair climbing exercise “snacks” improve cardiorespiratory fitness?
Psychological Aspects of Stair Use: A Systematic Review
「頑張らない仕組み」にすれば、習慣は資産になる

階段の登り降りを続けられた理由を振り返ると、特別な根性や努力があったわけではありません。
むしろ、“頑張らない仕組み” をつくったことが大きかったのだと思います。
人間の意志力は、実はとても消耗しやすいものです。
心理学では「意思決定疲労」と呼ばれ、選択や判断を繰り返すたびに、やる気は少しずつ減っていくといわれています。
だからこそ、継続には意志ではなく仕組みが必要なのです。
私の場合、その仕組みはとてもシンプルでした。
「見かけた階段は、できるだけ使う」 ― ただそれだけです。
通勤ビル、駅、ショッピングモール、自宅。
日常の中に階段は意外と多く存在していて、意識さえすれば “トレーニングの機会” に変わります。
続けるコツは、「行動を小さく」「意識を軽く」することです。
いきなり10階登ろうとせず、まずは “1日1回、1階分” でいい。
小さな成功体験を積み重ねると、脳内でドーパミンが分泌され、「またやろう」という前向きな感情が自然に生まれます。
もうひとつ大切なのは、自分を褒めることです。
たとえば、「今日も階段を選べた自分、えらいな」と心の中でつぶやくだけでもいいのです。
この小さな自己承認が、モチベーションの “燃料” になります。
気づけば、階段を登り降りすることが “当たり前の選択” に変わっていました。
それは習慣というより、自分の生き方の一部。
気合ではなく仕組みで続けることが、結果として最大の投資になっていたのだと感じます。
出典:Decision Fatigue: A Conceptual Analysis
Systematic review of the effects of decision fatigue in healthcare professionals on medical decision-making
身体が変わると、思考の “老い” もゆるやかになる

階段の登り降りを続けるうちに感じたのは、身体の変化だけではありませんでした。
むしろ私が一番驚いたのは、思考の若返りでした。
以前の私は、何か新しいことに挑戦する前に「どうせ続かない」「年だから無理だ」と、ついブレーキをかけてしまうタイプでした。
でも、階段の登り降りを習慣にしてから、少しずつその “思考の癖” が薄れていったのです。
1段でも登れたら、それが小さな達成です。
昨日より息が上がらなかったら、それは立派な進歩です。
そんな積み重ねを続けているうちに、「できた」という実感が増えていきました。
この感覚が、自己効力感 ― つまり「自分にはできる」という信頼を育ててくれたのだと思います。
興味深いことに、自己効力感が高い人は、語彙力・推論・記憶などの認知機能が高い傾向にあり、結果としてより若々しい思考や判断力を保ちやすいことが示されています。
自分の行動に手応えを感じると、脳は新しい挑戦をポジティブに捉えるようになります。
つまり、「身体の変化」が「思考の柔軟さ」を呼び戻すのです。
気づけば、仕事でもプライベートでも、以前より前向きに動けるようになっていました。
会議で発言するタイミング、休日の過ごし方、人との関わり方。
どれも少しずつ、以前より “軽く” なっていたのです。
もしかすると、階段の登り降りは筋肉だけでなく、“心の代謝” も高めてくれていたのかもしれません。
目に見える成果よりも、日常の中で感じるこの軽やかさこそ、若さの “見えない配当” だと思っています。
若さは、努力ではなく “積み立て” で育てるもの

階段の登り降りを続けてわかったのは、若さとは「頑張って保つもの」ではなく、「日々の積み重ねで育つもの」だということです。
若さの源は、特別なサプリや高価なジムではありません。
日常の中で「今日も少し動こう」と思える、その気持ちの中にあります。
1段登るたびに、未来の自分へ小さな投資をしている。
そう考えると、階段はどこにでもある “若さの貯金箱” のように感じます。
そしてその配当は、ある日突然、思わぬ形で返ってきます。
疲れにくくなった身体、軽くなった気分、前向きな思考。
それらすべてが、日々の積み立てが生んだ “見えない利息” なのだと思います。
今日もまた、エスカレーターの横を通り過ぎて階段を登ります。
それは少し未来の自分に向けた、静かなエールのような時間です。
階段を登るたびに、人生の “利回り” が上がっていく

階段を登り降りするという行為は、単なる運動ではなく、生き方の縮図のように感じます。
1段登るたびに、少しだけ呼吸が荒くなり、少しだけ視界が広がる。
地道で、地味で、誰も見ていないその瞬間にこそ、未来への投資が隠れています。
社会では「資産形成」や「キャリアアップ」といった言葉がよく使われますが、
本当の意味での資産とは、“自分が自分を育て続けられる力” のことではないでしょうか。
体力や気力、好奇心、そして「もう少しやってみよう」という小さな前向きさ。
それらはすべて、日々の選択の中で少しずつ積み上がる “無形の財産” です。
階段を登るような地道な行動は、見返りをすぐには感じられません。
でも、だからこそ続けるほどに「確かな信頼」を生みます。
昨日より今日、今日より明日。
その差はほんのわずかでも、時間の経過とともに複利のように効いてくるのです。
たとえば、10年前の自分に「いまの自分」を見せたらどう思うでしょう。
少し身体が軽くなり、心が前を向き、笑顔で階段を登る姿。
それを見たとき、きっと「ちゃんとやってきたんだな」と思えるはずです。
その感覚こそが、人生が返してくれる見えない配当なのだと思います。
そして、誰もがこの投資を今日から始められます。
必要なのは、お金でも特別な器具でもありません。
ただ、“次の階段を登る” という選択だけです。
もしかすると、その1段が、あなたの10年後を変える最初の投資になるかもしれません。
人生という長い上り坂を、焦らず、止まらず、少しずつ。
その歩みが続く限り、若さという資産は、確かに積み上がっていくのです。
おことわり
本文で紹介している内容は、筆者自身の経験と調査に基づくものです。
医療・運動・栄養に関する記述は一般的な情報を参考にしていますが、特定の治療や健康法を推奨するものではありません。
体調や既往症によっては、階段の登り降りなどの運動が適さない場合もあります。
実践の際は、体の状態に応じて無理のない範囲で行ってください。
必要に応じて、医師や専門家の指導を受けることをおすすめします。
また、記事中の統計・研究データは執筆時点の情報をもとにしています。
今後の研究やガイドラインの更新により内容が変わる可能性がありますので、ご了承ください。
本記事で使用した画像はNapkin AIを利用しています。
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