階段は10年、副業は1年半。怖さもまた、続ける中にある:副業が怖いと感じた日々を、階段を登り降りしながら越えてきた話

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目次

階段を登るたびに思い出す、あの夜の通知音

階段を登り降りする習慣は、もう10年になります。

一段ずつ脚を上げていく感覚が、すっかり身体のリズムになりました。
エレベーターを待つよりも、自分の脚で動いたほうが落ち着きます。どんなに仕事で疲れていても、「階段だけは使おう」と決めているのです。

そんな私が副業を始めたのは、まだ1年半ほど前のことです。
夜、家に帰ってからパソコンを開き、ブログの管理画面を立ち上げます。
更新ボタンを押すたびに、胸の奥が少しざわつきました。
記事を公開したあとの “通知音” が、当時の私には少し怖かったのを覚えています。

「誰かに読まれる」ことの喜びよりも、「間違えていないだろうか」「こんな内容でいいのだろうか」という不安のほうが大きかったのです。
投稿直後にアクセスが急に増えたときも、胸が高鳴るより先に、なぜか逃げ出したくなりました。数字が動くたびに、自分が試されているような気がしていました。

今になって思えば、あの “怖さ” は特別なものではなかったのかもしれません。
階段を登るときと同じように、少し息が上がる瞬間があるだけです。
でも、その息づかいを繰り返すうちに身体が慣れてくるように、心も少しずつ落ち着いていきました。

副業も、きっと同じなのだと思います。
怖さは消えませんが、怖さと一緒に暮らすリズムができてくるのです。

10年続いた階段のように、副業もいつかは “習慣” に変わる日が来るのかもしれません。
そう思いながら、今日も階段を一段ずつ登り降りしています。

階段を使うようになったのは、あの頃からだった

健診の結果が、階段生活の始まりでした

階段を使うようになったのは、10年ほど前のことです。
きっかけは会社の健康診断でした。
数値のいくつかが基準を超えていて、医師から「メタボ予備軍ですね」と言われました。初めて “保健指導” という言葉を聞き、「このままではいけない」と思ったのを覚えています。

当時の私は、仕事が忙しく、運動の時間を取る余裕がありませんでした。ジムに通う気力も続かない。でも、何かを変えなければという焦りがありました。

そんなとき、いつもそこにある階段を見上げ、「この階段を一番上まで登ったら、運動になるかな?」とふと思いつきました。
この運動ならできるかもしれない。そう思って始めたのが、私の “階段生活” の始まりでした。

息が上がるたびに感じた、小さな手応え

最初のうちは、数階登るだけで息が上がりました。
それでも一週間、二週間と続けるうちに、少しずつ呼吸が楽になり、脚の筋肉がしっかりしていくのを感じました。
「昨日よりも楽に登れた」と思える瞬間が、小さなご褒美のようでした。

いつしか、エレベーターを待つ時間のほうがもったいなく感じるようになり、「階段を使うのが自分らしい」と思えるようになりました。
続けることが目的ではなく、「続けることが自然になる」という感覚が芽生えたのです。

続けることに、特別な理由はいらない

階段を登り降りするのに、モチベーションは必要ありません。
ただ “やる” と決めて、やるだけです。
体調や天気によって、足取りが重い日もあります。でも、そういう日も階段を登り降りすると、不思議と気持ちが整いました。

振り返れば、あのとき培った「少しずつ続ける感覚」が、後の副業生活にも通じています。
何かを新しく始めるとき、人はどうしても “成果” を求めてしまいます。

けれど、階段のように「日常の中に組み込む」ことで、続けること自体が成果になる ― そんな感覚を、私はこの10年で覚えました。

10年の階段がくれた “続ける筋力”

健診の数値は、数年で安定しました。
でも、階段登り降り習慣は今も続いています。
それはもう「健康のため」ではなく、「自分のリズムを整えるため」の行動になりました。

そして気づけば、そのリズムが、副業を続けるときの支えにもなっていました。
長く続けた階段の習慣が、まさか新しい挑戦の “基礎体力” になるとは、当時の私は思ってもいませんでした。

副業の “怖さ” は、失敗ではなく「続けること」にあった

副業の怖さ、続ける勇気

思っていたよりも「静かな怖さ」でした

副業を始めて、最初に感じたのは “怖さ” でした。
それは、何かトラブルが起きるような激しいものではなく、静かに胸の奥に居座るような感覚です。
ブログを開くたびに、「今日は何を書こう」「これで合っているのだろうか」と、自分に問いかけていました。

公開ボタンを押す瞬間、指先が少し震えたこともあります。
コメントがつくのが怖くて、スマートフォンの通知をオフにした時期もありました。
誰かに批判されるかもしれないという不安よりも、「誰にも読まれなかったらどうしよう」という虚しさのほうが、ずっと怖かったのです。

階段を登り降りするように、コツコツと書き続けていくつもりでした。
でも、階段は登れば必ず上に着きますが、副業はそうはいきません

どれだけ記事を書いても成果が見えないとき、「この努力には意味があるのか」と、心の脚が止まりそうになりました。

「頑張っているのに報われない」と感じた時期

ブログを始めて半年ほどたった頃、更新を続けているのにアクセスが伸びない時期がありました。
分析画面を見ても数字はほとんど変わらず、記事を公開しても反応がない。
頭では「継続が大事」とわかっていても、心は焦っていました。

階段を登り降りすれば健康になれる」と違って、副業には明確なゴールがありません。
上がっているのか、立ち止まっているのか、自分でもよくわからなくなる。

その不確かさが、私にとっての “怖さ” でした。

一度、「しばらく休もうかな」と思ったこともあります。
けれど、そんなときに思い出したのが、階段の登り降り習慣でした。

どんなに気分が乗らなくても、登り降りすれば必ず心が整う
それを10年続けてきた自分なら、きっと副業も続けられる。そう思い直したのです。

「続けること」が怖いと気づいた日

副業を続けるうえで本当に怖いのは、「やめること」ではなく、「続けているのに結果が出ないこと」だと感じました。
“継続”が自分を支えてくれる一方で、同じ“継続”が自分を試してくる――そんな二面性があります。

階段を登るときの息切れのように、続けることにも苦しさはあります。
でも、息を整えながら一段ずつ登るうちに、気づけば景色が変わっている。
副業も、そうやってしか前に進めないのだと思いました。

怖さを完全に消すことはできません。
けれど、「怖い」と思えるのは、まだ挑戦の途中にいる証拠です。
その感情ごと抱えながら、私は今日も少しずつ書き続けています。

階段を降りるときに気づいた、“やめない工夫”

継続的な進歩のサイクル

登るだけが努力ではありません

副業を始めて1年が過ぎたころ、私は「登ること」ばかりに意識が向いていました。
新しいことを覚える、記事を書く、SNSで発信する ― どれも “上を目指す動き” です。

でも、続けていくうちに気づきました。
ずっと登り続けていると、息が続かないのです。

ある日、仕事帰りに階段を降りながら、ふと思いました。
降りるのも悪くないな」と。
足にかかる力が軽くなり、景色が少し広く見える。
その瞬間、「降りる=休む」という発想が、副業の中にも必要だと気づいたのです。


立ち止まる勇気が、“続ける力” になる

それから私は、無理に毎日記事を書こうとしなくなりました
書けない日には、過去の記事を読み返したり、ノートに思いつきをメモしたりする。
更新を止めても、考え続けている」状態を保つようにしました。

不思議なことに、そうやって “降りる時間” をつくると、気持ちが軽くなりました。
焦りが少しずつ和らぎ、次に登る力が戻ってくるのです。

階段を降りる動作が、身体にとって負担を調整するように、心にも “調整のリズム” が必要なのだと感じました。

続けるとは、ただ前に進むことではなく、戻ったり、休んだりしながらも離れないこと
それが、私にとっての “やめない工夫” になりました。

「やめない人」は、上手に “降りて” いる人

副業を長く続けている人を見ていると、みんな驚くほど自然に休んでいます。
無理をしていないのに、結果的に続いている

それはきっと、「“降りる” タイミングを知っている人」なのだと思います。

私も少しずつ、“降り方” がわかってきました。
一度完全に離れてしまう前に、負荷を抜く

それだけで、続けることへの怖さが薄れ、余白の中で新しいアイデアが生まれるようになりました。

階段を降りるたびに、私は「続けるとは、登ることと降りることの繰り返し」だと感じます。

登り続けなくてもいい降りながらでも、前には進める
それが、私なりの“やめない方法”です。

日常の延長線でしか、副業は続かない

日常生活における副業の継続

特別な時間をつくらないという選択

副業を始めたころ、私は「時間をつくらなければ」と思い込んでいました。
仕事が終わってからの夜や、休日の午前中を “副業の時間” として確保しようと予定を詰め込みました。

けれど、そのやり方は長く続きませんでした。
「頑張っている自分」を維持することが目的になり、少し疲れてしまったのです。

ある日、朝の階段を登り降りしながら思いました。
階段って、特別な時間じゃないよな」と。

通勤の途中、買い物の途中 ― 生活の流れの中に自然にある
それと同じように、副業も日常の延長線に置けたらいいのではないかと気づきました。

“やる時間” よりも “触れる回数” を増やす

それからは、「1時間集中して書く」よりも「5分でもいいから触れる」ことを意識しました。

通勤の電車で見出しを考える。昼休みにネタをメモする。
パソコンの前に座らなくても、頭の中で “ブログの下書き” をしているような感覚です。

小さな接点を増やすことで、副業が “生活の隙間” に入り込んできました。

そうすると、「やらなきゃ」ではなく、「やりたいときにやる」感覚が生まれます。
習慣というのは、努力で作るものではなく、生活の流れに馴染ませるものなのだと思いました。

階段を登り降りすることも同じです。

「運動しよう」と構えた日よりも、ただいつも通り階段を使った日のほうが、心が軽い
副業もそれくらいの温度で続けられたら、長く息が続くのだと思います。

「暮らしの一部」になると、怖さは薄れていく

副業を日常に馴染ませるようになってから、不思議と “怖さ” が小さくなりました。
特別な挑戦ではなく、「今日もやった」という生活の一コマに変わったからです。

やめることも、再開することも、呼吸のように自然になっていきました。

副業というと、“第二の仕事” のように聞こえますが、私にとっては “生活の延長” です。

洗濯をするように記事を書く。
歯を磨くようにネタを考える。

そんなふうに、副業を “暮らしのリズム” の中に置くことで、特別視しすぎずにいられるようになりました。

続けるための秘密は、意識しないこと

物事を続けるコツを聞かれることがありますが、
今の私ならこう答えます。

意識しないこと」です。

頑張ろうと思うと、頑張れない日が怖くなります。

でも、生活の中に自然に組み込めれば、“続けるかどうか” を考える必要すらなくなります。
気づけば続いている ― その状態こそ、本当の継続なのだと思います。

階段のように、何も考えずに一段ずつ登っているうちに、いつの間にか上に着いている
副業も、そのくらいの距離感がちょうどいいのかもしれません。

“怖さ” が消えるわけではないけれど

怖さは、挑戦の証拠です

副業を続けていて、いまだに怖いと感じる瞬間があります。

新しい記事を公開するとき、誰かに自分の考えを伝えるとき、思わぬ反応があったとき。
「大丈夫かな」と思う気持ちは、今も完全には消えません。

でも、それでいいのだと思うようになりました。

怖さがあるということは、まだ挑戦しているということだからです。
もし何も感じなくなったら、それはもう心が止まってしまったサインかもしれません。

怖さは、自分がまだ “動いている” 証拠です。

怖さごと続けるという選択

昔は「怖さを克服したい」と思っていました。
けれど今は、怖さをなくすよりも、“怖さと一緒に暮らす” ことを選んでいます。

たとえば、階段を登り降りするときも同じです。

毎日登っていても、急いで息が切れることがあります。
それでも登れば、身体が温まり、呼吸が整っていく
怖さも、そんなふうに扱えばいいのかもしれません。

大事なのは、「怖いからやめる」ではなく、「怖いけれど続ける」という姿勢です。
恐れを感じるたびに、自分の中で何かが育っている気がします。

それは、自信というより “慣れ” に近い安心感です。

続けることが、怖さをやわらげてくれる

不安や焦りは、動いていないときに膨らみます。
でも、手を動かしていると、いつの間にか小さくなっていく。
副業を続ける中で、そのことを何度も実感しました。

「怖さをなくそう」と思うと苦しくなりますが、
怖さと共に歩こう」と思うと、少しだけ楽になります。

階段を登り降りするように、息を整えながら一段ずつ

怖さとともに歩く日々の中で、私はようやく「続ける」という言葉の意味を
自身の身体で理解できるようになりました。

まとめ:階段を登る今日も、あの怖さに支えられている

階段を登り降りするとき、私はいつも少しだけ息が上がります。
それは10年経った今も変わりません。

けれど、その息づかいがあるからこそ、自分が生きて動いている実感があります。

副業も同じです。
ブログを始めて1年半がたちましたが、今でも記事を公開するときには少し緊張します。
「これでいいのだろうか」と思う瞬間は、何度もあります。
けれど、その “怖さ” があるからこそ、言葉を選び、考え、成長していけるのだと思います。

続けるというのは、怖さをなくすことではなく、怖さを抱えたまま歩くこと
階段の登り降りのように、少し息を切らしながらも一段ずつ進んでいくことです。

その積み重ねが、日々の暮らしの形をつくり、自分のリズムを整えてくれます。

10年前、健康のために始めた階段登り降りの習慣が、いまでは心の支えになりました。
そして、その支えが副業を続ける力にもなっています。

怖さは、敵ではありません。
それはきっと、続けている証です。

今日も階段を登りながら思います。
この息づかいの中に、私の挑戦が生きているのだと

おことわり

本記事は筆者自身の体験と感じたことをもとに執筆しています。


階段の運動習慣や副業の取り組み方は、個人の体験に基づく一例であり、すべての方に同じ効果を保証するものではありません。

健康状態や生活環境に応じて、無理のない範囲でご自身のペースを大切にしてください。

本記事で使用した画像はNapkin AIを利用しています。

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この記事を書いた人

“じみ” に “もくもく” と “すきなこと” を “継続する” ことが最近の楽しみです。

『人生を自由に楽しく』が目標です。

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