人生は配られたカードで戦うしかない:階段の登り降りを続けながら、それでも「戦える側」に立つという選択

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目次

その言葉は、若者ではなく「自分」に向けられている気がした

両学長が語っていた「人生は配られたカードで戦うしかない」という言葉を、最初に聞いたとき。
正直に言えば、それは若い人に向けた、よくある人生訓のひとつだと思っていました。

努力しなさい。
工夫しなさい。
環境のせいにしてはいけない。

そういったメッセージは、これまで何度も目にしてきましたし、
その多くは、どこか自分とは距離のある話として聞き流してきた気がします。

ところが、あるときふと、その言葉が頭の中で引っかかりました。
それは「もっと頑張れ」という響きではなく、
一度、自分の立ち位置を見直してみてはどうか」と言われているような感覚でした。

考えてみると、この言葉は若者よりも、
むしろ人生の途中まで来てしまった人間のほうが、重く受け止めるものなのかもしれません。

すでにカードは何枚か配られています。

今さら取り替えることも、最初からやり直すこともできません
その現実を、私たちは若い頃よりもはっきりと理解しています。

「自分は、どんなカードを持っているのか」
「そして今、戦える側に立てているのか」

そう問いかけられたとき、これは誰か一般論ではなく、
確かに “自分に向けられた言葉だ” と感じました。

毎日、派手な出来事があるわけではありません。
仕事をして、生活をして、体力の衰えや将来への不安を、
少しずつ現実として受け取りながら生きています。

それでも私は、日々、階段の登り降りを続けています。

健康のためでも、成功のためでもありません。
ただ、今日も戦線から離脱しないためです。

多くの人は、戦うことそのものよりも、
「いつまで続けられるのか」という不安に疲れていきます

私自身も、頑張れなくなった経験は何度もありました。

だからこそ、無理をしない形で続けられる行動だけを、
生活の中に残すようになったのだと思います。

この文章は、才能や一発逆転を語る話ではありません。
配られたカードを嘆き続ける話でもありません。

どうすれば、派手な勝利はなくても、
戦える側」に立ち続けることができるのか

そのために、私が持っていたカードと、
静かに増やしてきたものについて、ここから書いていきます。

人生は不公平。でも、そこで思考停止しない

人生は、平等ではありません
これはきれいごとではなく、事実だと思います。

生まれた家庭、住んでいた地域、親の価値観。
持って生まれた性格や体力、見た目や要領の良さ。

私たちは、スタートラインに立つ前から、すでに違うカードを配られています。

努力すればすべて報われる、という話をしたいわけではありません。

むしろ逆で、「どう頑張っても差は埋まらない」という現実を、
まず受け入れるところから始まるのだと思います。

配られたカードは選べません

自分のカードを選べなかった、という事実は変えられません

もっと恵まれた環境に生まれたかった、
もっと才能が欲しかった、
もっと器用に生きられたらよかった。

そう思うこと自体は、とても自然なことです。
実際、私自身も何度もそう感じてきました。

ただ、そのカードを嘆き続けても、新しいカードが配られることはありません

むしろ、手元にあるカードを見ないまま時間だけが過ぎていきます。

不公平さに気づくことと、そこに居座り続けることは別です。

人生には、「嘆くフェーズ」は必要ですが、
長居する場所ではないと感じています。

比較しても、人生は前に進みません

不公平さを強く感じるとき、私たちは他人と自分を比べ始めます

あの人はうまくいっている。
自分は、何も持っていない。

けれど、他人のカードと自分のカードを並べても、
そこから次の一手が見えてくることは、ほとんどありません

比較は、一時的には納得感をくれます
「自分がうまくいかないのは仕方がない」と思えるからです。

しかし同時に、思考行動も止めてしまいます。

私が大事だと思っているのは、
不公平だと分かったうえで、それでも何をするか」です。

カードは選べません。
ですが、そのカードを使うかどうかどう使うかは、まだ選べます

この先で書いていきますが、
強いカードを持っているかどうかよりも、
戦線に立ち続けられるかどうかのほうが、ずっと重要だと感じています。

私が持っていたカード、持っていなかったカード

目立たない強みの活用

人生をカードにたとえるなら、私は決して恵まれた手札を持っていませんでした
少なくとも、自分ではそう感じてきました。

目立つ才能があるわけでもなく、
人前で話すのが得意なわけでもなく、
誰とでもすぐに打ち解けられる社交性があるわけでもありません。

持っていなかったカード

若い頃から、「これは自分の武器だ」と胸を張って言えるものがありませんでした。

要領よく立ち回れるタイプでもなく、
努力がすぐ結果に結びつくタイプでもありません。

周りを見れば、

楽しそうに人脈を広げていく人、
器用にチャンスをつかんでいく人、
早い段階で成果を出していく人がいます。

そういう人たちと自分を比べるたびに、
自分には、使えるカードがないのではないか
そんな気持ちになることもありました。

後からカードだと気づいたもの

ただ、振り返ってみると、
当時はカードだと思っていなかったものが、いくつかありました。

それは、

派手ではないけれど、続けられること
評価されなくても、淡々とやれること
前に出るより、裏で支えるほうが苦にならない気質

どれも、分かりやすく評価されるものではありません。
むしろ、若い頃は「つまらない」「強みにならない」と思っていた要素でした。

ですが、途中で投げ出さずに残っていたものは、
結果的に、それしかありませんでした。

振り返ってみると、
「やめなかった」という事実だけが残っているものほど、
後になって意味を持ち始めていました。

特別な決意があったわけでもなく、
ただ、やめる理由が見つからなかっただけかもしれません。

それでも、続いているという事実は、
確実に人生の土台を支えてくれていました。

階段の登り降りが「カード」になった話

日々の階段の登り降りも、最初はただの習慣でした。
特別な意味があったわけではありません。

健康のため、というほど立派な理由でもなく、
ましてや誰かに評価されるような行動でもありません。

それでも、ほぼ毎日、階段を使いました。
エレベーターやエスカレーターを選ばず、
ただ、淡々と階段を登り降りしてきました。

続けていくうちに、
体力が極端に落ちにくくなり、
日常生活での不安が少しずつ減っていきました。

そこで初めて、
これはカードだったのかもしれない
そう感じるようになりました。

最初から強そうに見えるカードではありません。
ですが、確実に “戦線に残るためのカード” にはなっていました。

読んでいる方にも、
似たようなものがあるかもしれません。

誰にも注目されなかった習慣
評価されなかったけれど、なぜか続いている行動
やめなかった、という事実だけが残っているもの。

それらは、今は弱く見えても、
静かに効いてくるカードなのだと思います。

なぜ「お金」は戦うカードになり得るのか

お金の役割

お金の話をすると、少し構えてしまう人も多いかもしれません。
どこかで、「お金の話=欲深い」「人生論と相性が悪い」と感じてきたからです。

ですが、ここで言いたいのは、
お金で勝つ話でも、贅沢をする話でもありません。

お金は、人生を派手に変えるためのカードではなく、
戦線から離脱しないためのカードだと思っています。

お金=贅沢、ではありません

お金がある、というと、
高いものを買う、好きなことだけをする、
そういったイメージが先に浮かびがちです。

けれど、実際に効いてくるのは、もっと地味な場面です。

体調を崩したときに、無理をしなくていい
仕事が合わないと感じたときに、少し考える時間が持てる
焦りから、変な判断をしなくて済む

お金があることで増えるのは、贅沢ではなく、選択肢です。
そしてこの選択肢の有無が、人生を続けられるかどうかに直結します。

「お金がないと、戦えない」
そう言いたいのではありません。

お金が少しあるだけで、戦線から落ちにくくなる
その現実を、私は何度も感じてきました。

お金は「攻撃」ではなく「防具」です

お金を武器だと考えると、どこか違和感があります。
誰かに勝つため、見せつけるためのものではないからです。

むしろ、お金は防具に近い存在だと思っています。

防具は、派手ではありません。
着けていても、評価されることはありません。

ですが、ダメージを減らし、長く戦い続けるためには欠かせません

生活費の余裕
少しの貯え
将来に対する最低限の見通し

それらは、人生を前に進めるための攻撃力にはならなくても、
「もう無理だ」と感じる瞬間を、確実に遠ざけてくれます

ここまで書いてきた、
階段の登り降りや、淡々と続ける習慣と同じで、
お金もまた、静かに効いてくるカードです。

一気に増やす必要はありません。
誰かと比べる必要もありません。

ただ、今日も戦える状態でいるために、
少しずつ整えていく

それだけで、お金は十分に意味を持ちます。

お金の話をすると、どうしても

「もっと増やさなければならない」
「足りていない自分はダメだ」

そんな感覚に引きずられがちです。

ですが、ここで言いたいのは、
十分かどうかを他人と比べることではありません。

昨日の自分より、ほんの少しだけ不安が減っているか
それくらいの基準でいいのだと思います。

階段の登り降りと同じで、
一度に何段も飛ばす必要はありません。

日々、同じ段を踏み外さずに登り降りできていれば、
それだけで「戦える状態」は保たれます。

派手な逆転はいらない。戦線離脱しないことが大事

人生の話になると、どこかで「逆転」という言葉が顔を出します。

一気に状況をひっくり返す出来事。
努力が報われる瞬間。
ドラマのような展開です。

ですが、現実の人生で本当に怖いのは、負けることよりも、
戦線から離脱してしまうことだと感じています。

大きな失敗をしたから人生が終わるのではありません。

体を壊したり、気力が折れたり、
もう続けられない」と感じた瞬間に、選択肢が一気に狭まってしまいます。

派手な逆転を狙う生き方は、確かに魅力的です。
ですが同時に、失敗したときのダメージも大きくなります。
一度崩れると、元の場所に戻るだけでも、相当な力が必要になります。

私が大事にしてきたのは、
勝つことでも、目立つことでもありません

今日も、戦える状態でいること
それだけです。

調子の良い日ばかりではありません。
やる気が出ない日も、うまくいかない日もあります。

それでも、完全に止まらないようにする
前に進めなくても、立ち止まり続けない

そのための準備をしておくことが、
私にとっての「戦える状態」でした。

階段の登り降りで体力を落としにくくする。
淡々と続けられる習慣を手放さない。
お金という防具を、少しずつ整えていく。

どれも地味です。
周囲から評価されることも、ほとんどありません。

ですが、それらが積み重なることで、
「もう無理だ」と感じる場面を、確実に減らすことができました

人生は短距離走ではありません。
長く、続いていきます

だからこそ、
派手な一手よりも、
離脱しないための準備のほうが、ずっと重要なのだと思います。

まとめ:静かにカードを増やしていけばいい

人生は、ギャンブルではありません。
一度の勝ち負けですべてが決まるものでもありません。

配られたカードは選べません

ですが、そのカードをどう扱うか
そしてカードを増やすかどうかは、自分で決めることができます

階段の登り降りのような、小さな習慣
すぐには意味が見えない行動
評価されなくても、やめなかったこと

それらは、ある日突然、強いカードに変わるわけではありません。

ただ、気づかないうちに、
今日も人生を戦える状態にしてくれています

一気に変わる必要はありません。
誰かの成功と比べる必要もありません

今日も、カードは1ミリずつ強くなっています。

その積み重ねの先に、
気づけば、戦える側に立ち続けていた

そんな人生があるのだと思います。

おことわり

本記事は、特定の成功法則や正解を示すものではありません。

私自身の体験や考えを整理した、個人的な記録に近い内容です。

書いていることが、すべての人に当てはまるとは思っていませんし、違う考え方や選択を否定する意図もありません。

ただ、同じように「派手な逆転ではなく、戦線に残り続けること」に価値を感じている方にとって、何か一つでも引っかかる部分があれば幸いです。

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この記事を書いた人

“じみ” に “もくもく” と “すきなこと” を “継続する” ことが最近の楽しみです。

『人生を自由に楽しく』が目標です。

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