ある夜、テレビで江戸風鈴の職人兄弟の特集を見ました。
今は亡き父親のあとを継ぎ、
小さな工房でガラスに息を吹き込み、
風鈴の内側から繊細で鮮やかな絵を描く2人の姿が、
なぜか長く心に残りました。
思えば風鈴の音は、
夏のあいだだけ、
どこかの軒先から聞こえてきます。
あれを作っている人がいる、
という当たり前のことに、
その夜あらためて気づいたのです。
画面の向こうの静かな言葉が、
私が11年続けている階段の登り降りと、
どこかで重なって聞こえました。
風鈴は、風を音に変えるもの

兄弟のひとりが、
「風鈴は風を音に変えるもの」
と話していました。
それが風鈴の仕事なのだと。
その音も、鳴った先から消えていきます。
手元に残るものは、何もありません。
聞きながら、ふと思いました。
階段の登り降りも、
同じことをしているのかもしれない、と。
毎朝の1段1段は、
誰に見られるわけでもない、
記録にも残らない時間です。
けれどその 見えない反復 が、
少しずつ身体という形に変わっていきます。
11年前の私は、
健診で脂肪肝を指摘された、
どこにでもいる40代でした。
派手なことは何もしていません。
ただ、見えない毎日を、
身体に変え続けてきただけです。
完成がないから、続けられる

兄弟が受け継いだ父の言葉に、
「世界で一番良い風鈴を作りなさい」
というものがありました。
静かな言葉ですが、
よく考えると、終わりがありません。
「世界で一番」に到達点はないからです。
彼らはそれを 生涯修行 と呼んでいました。
兄弟である、というのも印象的でした。
競い合うのではなく、
同じ父の背中を見た二人が、
それぞれの手で、
終わりのない道を歩いていく。
継ぐというのは、
1人で抱えることではないのかもしれません。
ゴールのない習慣は、
挫折しやすいと思われがちです。
到達点がなければ、
達成感も得られないように見えるからです。
けれど、逆なのかもしれません。
生涯修行とは、
終わらないことの、別の名前なのだと思います。
気を、入れる

もうひとつ、忘れられない言葉がありました。
気を入れる、というのは、
技術の話ではないのでしょう。
同じ道具で、同じ手順で作っても、
どんな心持ちで向き合ったかは、
不思議と仕上がりに残る。
職人は、それを知っているのだと思います。
階段にも、たぶん同じことが言えます。
たとえば、まだ暗い朝の1段目。
足裏がひやりと段を踏み、
呼吸がゆっくり整っていく。
その日の身体の重さや軽さが、
最初の数段で分かります。
ただ脚を動かすだけの日もあれば、
1段ごとに耳を澄ませる日もある。
数値には表れません。
丁寧さとは、
特別な技のことではないのでしょう。
それだけのことを、
続けられるかどうかなのだと思います。
止まらず、進み続けなさい

父が兄弟に遺した言葉は、
「止まらず進み続けなさい」
だったそうです。
私には、継ぐべき家業も、
渡すべき技もありません。
それでも、この言葉は他人事ではありませんでした。
職人が父の手つきを継いだように、
今日登った1段は、
1年後の私の脚へ、
静かに受け継がれていく。
まとめ:風は見えない。それでも、鳴らし続ける

風鈴の職人兄弟が教えてくれたのは、
見えないものを形に変える仕事に、
完成はない、ということでした。
それでも、鳴らし続ける。
止まらず、進み続けようと思います。
日々の小さな記録は、noteのマガジンにも静かに綴っています。
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おことわり
本記事は情報提供を目的としており、特定の効果・効能を保証するものではありません。
健康に関するご判断は、必ず医師・専門家にご相談ください。

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