階段の登り降りと副業:「やらなかった選択」が生活を守ってくれた話

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焦っていた頃、私は “エレベーター” に乗っていた

副業を始めたばかりの頃、私はいつも焦っていました。
「もっと記事を書かなきゃ」「SNSを更新しなきゃ」「売上を伸ばさなきゃ」。
けれど、そうやって “やること” を増やすほど、心も身体もどんどん疲れていったのです。

私の副業は、売れていないブログを2つと、月に何回かのハウスクリーニングの手伝い。
月の売り上げは、2〜4万円ほど。数字だけ見れば小さな挑戦です。

でも、成果を出している人たちを見て比べてしまうと、その小ささがどこか恥ずかしく、
「このままでいいのかな」と自分を責める気持ちばかりが膨らみました。

そんな折、30代後半の健康診断で「メタボ予備軍」と指摘されました。
正直、ショックでした。
仕事や副業を理由に運動を後回しにしてきた結果が、ここに出たのだと思いました。
それをきっかけに、「せめて昼食後だけでも」と、身近な階段を登り降りすることを始めました。

最初はただの減量目的
けれど、しばらく続けるうちに、心にも少しずつ変化がありました。

息を整えながら階段を登り降りすると、焦っていた思考が静まり
「今、自分はここにいる」という実感が戻ってくるのです。

運動というより、“焦っている自分を落ち着かせる時間” になっていました。
そして気づけば、その小さな習慣が、仕事にも副業にも、穏やかなリズムを取り戻してくれたのです。

全部やろうとして、どれも中途半端になった

自己喪失のサイクル

焦るほど、手を動かしたくなる

階段を使うようになる少し前、私はとにかく “動いていなければ落ち着かない” 時期でした。
……と言っても、その「動く」は副業ではありません。

当時の私はまだブログもハウスクリーニングの仕事もしておらず、
ただ、仕事と日常のバランスを崩し始めていた頃でした。

30代後半の健康診断でメタボ予備軍と指摘され、
「このままではいけない」と思い立って、昼食後に階段の登り降りを始めたのです。

それが今も続く、最初の “自分を整える習慣” になりました。

副業を始めたのは、それからかなり後のことです。
ブログを始めて1年4か月、2サイト目はまだ7か月。
ハウスクリーニングの手伝いを始めてからは、ようやく3か月ほど。

長く続いているものは、結局この「階段」だけでした。

そんな私が副業を始めてからは、再び “動きすぎる” 癖が顔を出しました。
朝起きてから夜寝るまで、スマホで副業ノウハウを探し、
隙間時間にSNSを更新し、夜はブログを2本同時に書こうとしていたのです。

成果が出ないのは行動量が足りないから ─ そう信じていました。

数字に追われるほど、感覚が鈍る

ある日、アクセス解析のグラフを見ながら、自分でも笑ってしまいました。
前日と比べて数PV増えたとか、減ったとか ─ そんな小さな数字に一喜一憂していたのです。

本来は「伝えたいこと」を書くために始めたはずのブログが、
いつの間にか「数字を追う競争」にすり替わっていました。

「稼ぐこと」が目的になった瞬間、
やることの一つひとつが雑になり、心が置き去りになっていきました。

どれも中途半端で、どれも成果が出ない
そんな焦りだけが、日を追うごとに大きくなっていきました。

「止まる勇気」が、一番むずかしい

今思えば、あの頃の私は “止まることが怖かった” のだと思います。

手を止めたら、取り残される。
少し休んだら、努力が無駄になる。

そんな不安が、常に頭のどこかにありました。
けれど、現実には「やることを増やすほど、自分が遠のいていく」感覚があった。

焦りと疲労が積み重なるたびに、
何か大事なもの ─ 生活のリズムや心の余裕 ─ を削っていたのです。

そんなとき、ふと階段のことを思い出しました。
“早く” 上へ行くエレベーターではなく、“ゆっくり” 登る階段
あの10年続いた習慣の中に、もしかしたらヒントがあるのではないか。

そう思った瞬間から、私はもう一度、足元を見つめ直すようになりました。
それが、「やらない選択」を学び始めた最初のきっかけだったのです。

やらない選択がくれた静かな回復

まず、“増やす” のをやめてみた

ある朝、ノートに「今、やっていること」を全部書き出してみました。
ブログの更新、SNSの発信、動画編集の勉強、案件探し、家事、掃除、買い出し…。
書き出してみると、それだけで息が詰まりそうな量でした。

「これを全部やる必要、あるのかな?」
そう思った瞬間、少し肩の力が抜けたのを覚えています。

そこでまず、更新頻度を週2回に減らし、SNSも一時的に休止。
かわりに “やることリスト” の中に階段を登り降りする」を一つだけ残しました。
それは、小さな行動だけど、自分を取り戻すきっかけになる気がしたからです。

階段を登る時間が、“考える時間” になった

通勤の駅や買い物の途中、エスカレーターではなく階段を選ぶ
たったそれだけのことなのに、不思議と心が静かになる

息が上がるたびに、「今、何に焦っていたんだろう」と考える余白が生まれました。

SNSで誰かと比べる代わりに、自分の呼吸のリズムを感じる
結果を求めるより、身体の声を聴く

そうやって “静かに考える時間” が増えると、頭の中のノイズが少しずつ整理されていきました。

階段を登り降りする時間は、私にとって「何を選ばないか」を考える時間になっていたのです。

「やらなかった分」見えてきたもの

やらないことを決めると、残ったことの意味が際立ちます。
ブログを書く時間が減った分、一つひとつの記事に丁寧に向き合えるようになった。
ハウスクリーニングの仕事も、「無理に詰め込む」より「一件を丁寧に仕上げる」ことが気持ちよくなった。

それは、行動量が減ったのではなく、「余白が増えた」という感覚。
やらない勇気”が、思考と生活の呼吸を取り戻してくれたのです。

階段は「意思決定の筋トレ」だった

続ける力の基盤

登る=行動、降りる=撤退

階段を使うようになって気づいたのは、
「登る」と「降りる」には、それぞれ違うエネルギーがあるということでした。

登るときは、少しだけ負荷がかかる
筋肉が伸びて、呼吸が乱れて、でも終わったあとに爽快感がある。
これはまさに、“やる” と決めて動き出す瞬間の感覚に似ていました。

一方で、降りるときは、力を抜く
勢いに任せすぎると危ないけれど、リズムを保てばスムーズに進める
これは、“やめる” や “手放す” という選択に近い

どちらもバランスが必要で、「登りっぱなし」では息が続かないのです。

副業でも同じでした。
記事を更新する日もあれば、あえて休む日もある。
仕事を増やす時期もあれば、あえて減らす時期もある。

どちらも前進であり、「止まらないこと」こそが、自分にとっての持続でした。

小さな選択が、“考える力” を鍛える

階段を登り降りするたびに、私は「どのタイミングで休むか」「どこまで登るか」を無意識に判断しています。
たった数十秒の行為でも、それは “意思決定の連続” です。

この感覚が、副業や生活の選択にも少しずつ波及しました。

たとえばブログを書くとき、「今は書かないほうがいい」と判断できるようになった。
SNSを開く前に、「本当に見たい?」と一度立ち止まれるようになった。

以前の私は、選択する前に反射的に動いていました。
でも今は、行動の前に “ひと呼吸おく癖” がついた。

それが考える筋肉」を鍛えるような感覚でした。

決断は、静かに育つ

階段を登り降りするとき、すぐに結果は出ません
でも続けていくうちに、ふとした瞬間に “身体が軽くなっている” ことに気づく。

決断力も同じで、鍛えようとして鍛えられるものではなく、
小さな選択を積み重ねた先に、静かに育っていくものなのだと思います。

「今日は登らない」と決める日があってもいい。
それもまた、意思のある判断

登ることも、降りることも、休むことも、全部ひっくるめて “続ける力 なのだと、
階段が教えてくれました。

頑張らない一貫性が継続を支える

継続の哲学

「続ける」ことへのプレッシャー

副業を続けていると、いつの間にか「継続こそ正義」という空気に飲まれていました。
「毎日更新」「毎日発信」「365日止まらない」 ─ そんな言葉に、どこか安心感を求めていたのです。

でも実際には、続けることよりも「途切れた時にどう戻るか」のほうが難しい
たった一日休んだだけで、「もうやめてしまった」と感じてしまう。

継続を “義務” にしてしまうと、少しのズレが自信を奪っていくのです。

階段を登り降りするように、ペースを乱さず歩くことが理想でも、
息が上がったら、立ち止まって深呼吸していい

それもまた、リズムの一部なのだと思えるようになりました。

「戻れる設計」をつくる

行動科学の本に「習慣とは “戻れる状態” をデザインすること」と書かれていました。
それを読んで以来、私は「完璧に続ける」より「再開しやすい形」にこだわるようになりました。

たとえばブログなら、記事の途中で止まってもいいように、タイトルや構成を先に書いておく。
SNSは「発信しなきゃ」ではなく、「発信したくなったら」のリマインダーを残しておく。
ハウスクリーニングの仕事も、無理な予約を入れず “空白日” をあえて作る。

こうして “戻るための仕組み” を整えると、不思議と焦りが減ります。

一度離れても、自然にまた歩き出せる
それが、私にとっての “頑張らない一貫性” でした。

小さな習慣が、静かな軸になる

階段を登り降りするときも同じです。

毎日登り降りできなくても、「今日は一段だけ登る」「駅で半分だけ使う」 ─ それで十分。
続けることの本質は、“行動量”ではなく “戻る回数” にあるのだと思います。

続ける人は、途切れない人ではなく、何度でも戻ってこれる人
副業も生活も、そんな柔らかい継続のほうが、長く、心地よく続く

頑張らない一貫性とは、自分のペースを信じる力のこと。
そしてそのペースは、階段を一段ずつ登り降りする中で、静かに体に馴染んでいくのです。

戻れる生き方が、いちばん続く

成功より、「戻れる場所」が支えになる

副業を続けてきて思うのは、成功の形は人それぞれということです。
けれど、どんな人にも共通して必要なのは「戻れる場所」だと思います。

それは、失敗しても、疲れても、もう一度立てる場所
たとえば私にとっては、朝の階段や、ブログの下書き画面、ハウスクリーニングの現場。

特別なことではないけれど、“日常に帰れる場所” があるからこそ続けられています。

成果を出そうとしていた頃は、常に「もっと上へ」と思っていました。

でも、上へ登るほど、足場が不安定になる。
下を見下ろす余裕もなくなり、息苦しさだけが残る

そんなときこそ、いったん降りて、自分の足で地面を確かめる勇気が大切なのだと感じます。

降りることは、終わりじゃない

「やめる」「手放す」「休む」 ─ そのどれも、悪いことのように聞こえるかもしれません。
でも階段を降りるように、落ち着いて降りれば、また次の登り口が見えてくる

実際、少し副業から離れた期間があったとき、
「また書きたい」「また動きたい」と思えたのは、
以前よりもずっと穏やかな気持ちの中でした。

それは、止まることを恐れなかったから。
戻るルートを持っていたから。

だから再開が怖くなかったのです。

生き方としての “階段”

人生も仕事も、まっすぐ上に伸びる線ではなく、
登って、降りて、また登る ─ その繰り返しなのかもしれません。

階段を登ることも、降りることも、
結局は “自分のリズムで生きる練習” なのだと思います。

成功よりも、速さよりも、
戻れる安心」を持てることが、一番の支えになる
そう気づいてから、副業も生活も、ようやく “無理のないペース” を取り戻せました。

まとめ:階段は「生き方」の比喩になる

焦っていた頃、私は「どうすれば早く上に行けるか」ばかり考えていました。
けれど今は、「どうすれば戻れるか」「どうすれば続けられるか」を考えるようになりました。

階段を登ったり降りたりするように、
人の暮らしも挑戦も、上り坂と下り坂のリズムでできているのだと思います。

やらなかった選択” は、何かを諦めることではなく、
自分の時間と心を取り戻す選択でした。

頑張りすぎず、戻れる仕組みをつくり
その中で小さく行動を積み重ねていく

それが結果的に、長く続く力 ─ Persistent(しなやかな持続)を生む。

階段は、どこまでも続いているように見えて、一段ずつしか登れない。
けれど、その一段一段が、確かに “生き方” をつくっていく

今日もまた、焦らず、止まらず、自分のペースで一段一段を登ればいい
それだけで、もう十分に前に進んでいるのだと思います。

おことわり

本記事は筆者の個人的な経験と考えをもとに構成しています。

紹介している方法や感じ方は、すべて主観的なものであり、特定の成果や効果を保証するものではありません。

健康状態や働き方に関する判断は、各自の状況に合わせてご自身の責任で行ってください。

本記事で使用した画像はNapkin AIを利用しています。

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この記事を書いた人

“じみ” に “もくもく” と “すきなこと” を “継続する” ことが最近の楽しみです。

『人生を自由に楽しく』が目標です。

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