静かに、深く、整ったまま進む:階段の登り降りが教えてくれた、習慣と身体の一年

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気合ではなく、整いから始まる一年に

新しい年の朝、外の空気が澄んでいました。
少し早起きをして、いつもの階段を登っているとき、ふと気づいたのです。

今年は、気合で何かを変える年じゃなくてもいいのかもしれない」と。

これまでの私は、年が明けるたびに “今年こそ” と何かを決意してきました。
体を鍛える、早起きを続ける、仕事を伸ばす ─。

けれど、そのどれもが数週間で息切れしてしまっていました。

続かない理由は「意志が弱いから」だと思っていたのですが、
今振り返ると、足りなかったのは気合ではなく整いだったのだと思います。

階段を登り降りするとき、足の裏に伝わる段差の感覚や、
手すりの冷たさ、呼吸のリズムに意識を向けてみると、
考えるより先に身体が日常を始めてくれることに気づきます。

「何も考えなくても動ける」という安心感が、
この一年の方向を教えてくれた気がしました。

抱負を「がんばる宣言」にするのはやめました。

代わりに、壊れないための指針として選んだのが、
静かに、深く、整ったまま進む」という言葉です。

焦らず、無理をせず、でも止まらない

そんな一年であれば、
きっと心も身体も、穏やかに成長していけると思います。

今年は、“自分を整える” ことから始めていこうと思います。

身体が先に知っていた:「変えなくていい」と感じた朝

年明けの階段が教えてくれたこと

年が明けて数日が経った頃、
いつものように朝の階段を登り降りしていると、ふと脚が軽いことに気づきました。

何か特別な努力をしたわけでも、睡眠時間を変えたわけでもありません。
ただ、同じ段差を、同じペースで登り続けていただけです。

不思議なことに、頭では何も考えていないのに、
身体のほうが先に「今日もこのリズムでいい」と言っているように感じました。

以前は、「もっと早く登らなければ」「昨日より頑張らなければ」と思いながら動いていたのに、
その日は、何も考えずに自然と脚が動いていました。

人はどうしても「変えなければ」と思いがちです。

でも、同じことを静かに続けていると、
変わろうとしなくても、身体の中では確実に何かが変わっている

それを感じられた瞬間、
“進む” とは、必ずしも “違う自分になること” ではないのだと、
階段の上で小さく納得しました。

「変えない」ことで、身体が整っていく

変化を求めすぎると、心も身体も疲れてしまいます
新しいことを始めるたびに緊張し、意識が外に向きすぎる。

そんなときこそ、身体の声を聞いてみることが大切だと感じます。

階段を登るときの呼吸は、驚くほど正直です。
体調が良い日は軽やかに、疲れている日は一段ごとに息が重くなる。

そうした小さな変化に耳を澄ませていると、
「今日はこのくらいでいい」という身体からの合図が聞こえてきます。

以前の私は、それを “怠け” だと思っていました。

でも今は違います。 無理をして乱れるよりも、
小さな調整を積み重ねるほうが、ずっと安定して前に進める

身体は、頭よりもずっと賢いのだと感じます。

階段を一段ずつ登り降りする動作は、地味で単調です。
けれど、その単調さの中に “整う力” があります。

毎朝、同じ脚で一段を踏みしめ、呼吸の音を聞きながら登る

その繰り返しが、心のざわつきを静め
自分の内側を安定させてくれるのです。

「変えない」という選択は、
怠けることではなく、自分のリズムを信じることだと思います。

それが積み重なると、
身体は次第に “これでいい” という状態を覚えていく

その感覚こそが、
この一年を “整ったまま進む” ための土台になるのだと感じています。

派手さを捨てて、再現性のある生活へ

登り続けるより、「同じ段を踏む」強さ

新しい挑戦をするとき、人はつい「上を目指す」ことに意識を向けます。

昨日より多く走る、もっと早く起きる、より大きな成果を出す。
私も長いあいだ、そういう努力の仕方を続けてきました。

けれど、ある日ふと気づいたのです。

階段を登るとき、どれだけ一気に上がっても、次の日にはまた下から登り直すということに。

つまり、毎日同じ段を踏みしめられることこそが、本当の強さなのだと感じました。

努力を重ねることも大切ですが、
再現できる日常を整えることのほうが、ずっと続けやすいのです。

朝のリズム、食事のタイミング、寝る時間

一見地味に見えるこれらの “繰り返し が、
結果的に、心と身体を安定させてくれます。

派手さのない毎日でも、淡々と続けていくうちに
身体の奥で静かな力が育っていくのを感じます。

登りきることではなく、登り続けられる状態をつくる
それが、この年齢になってようやく実感できた「無理をしない強さ」でした。

朝は同じ時間に目を覚まし、 水素水を飲む。
階段を登り降りして呼吸を整える。

そんな一日の始まりが、今の私には心地よいのです。

SNSを開かない朝、誰とも話さない静けさ。
派手さを捨てる”とは、そういう穏やかさを選ぶことでした。

同じ動きを何度も繰り返すうちに、 生活がひとつの「」を持ち始める。

それは退屈ではなく、身体に余白を残す強さだと感じています。

静けさの中に、確かな充実がある

以前の私は、予定を詰め込み、人の輪の中で動き回ることが “充実” だと思っていました。

けれど、そうした日々は長くは続きません。
外向きのエネルギーを使いすぎると、心も身体も消耗してしまうのです。

それから少しずつ、
“静かな時間” を優先するようになりました。

夜の読書、朝の散歩、ゆっくりとお茶を飲む時間。
派手さのない日々ですが、その中には確かに満たされた感覚があります。

誰かに見せるための行動ではなく、
自分を整えるための行動を積み重ねると、生活そのものに再現性が生まれます。

同じリズムで過ごせるからこそ、余裕ができ、
予期せぬ変化にも静かに対応できるようになるのです。

静けさ」は、決して退屈ではありません。
むしろそれは、次の一歩を支える “土台の音” のようなものだと感じています。

今日もまた、階段の一段目に足を置く

それだけで、心の中に穏やかな力が戻ってくるのです。

継続が苦じゃない理由は、意志ではなく設計だった

継続の旅

登る仕組み、降りる仕組みをつくる

「続けるのが苦手なんです」とよく耳にします。
私自身も以前はそうでした。
けれど最近ようやく、継続には “意志” よりも “仕組み” が大切だと実感しています。

たとえば階段を登るときも、
いきなり最上階を目指そうとすれば息が上がります。

でも、一段ずつ呼吸を合わせながら登れば、
自然と “止まらないリズム” が生まれます。

朝活や運動も同じです。

「やる気があるからやる」のではなく、
“やらないと気持ち悪いくらいの流れ” を生活に組み込むことが大切です。

時間を固定する、道具を目に見える場所に置く、
前日に準備しておく ─。

それだけで、次の日の自分が少しラクになります。

そして何より大切なのは、
「降りる仕組み」も同時に用意しておくことです。

疲れたときに、完全に止まるのではなく、
“軽く降りる” 選択肢を持っておく

たとえば、ストレッチだけする、短い散歩に切り替える。
そうすれば、リズムを壊さずに休むことができます。

私の「続けられる設計」は、とても小さなことの積み重ねです。

朝はカーテンを半分だけ開けておく。
起きた瞬間に朝日が少し入るようにしておく。
運動ができない日でも、ストレッチを1分だけ。
続けられなかった日は、ノートに「今日は休んだ」とだけ書く。

記録が “責め” ではなく “つながり” になるように。

こうして、継続の仕組みをやさしく自分に設計しておくと、
やる気がない日でも自然と身体が動きます。

“努力” というより “呼吸” のように続けられる
それが、私の「設計のリズム」です。

「戻れる場所」がある安心感

継続が続かないとき、多くの人が「やめてしまった自分」を責めます。

けれど、続けることの本質は “途切れないこと” ではなく、
戻れる構造を持っていること” なのだと思います。

たとえば、少しのあいだ階段を休んでも、
次の日にまた同じ段を踏めば、それで再開です。

再開しやすい設計” こそが、
Persistent-Wins が大切にしている「継続のリアリティ」だと思います。

私の場合は、朝の時間を「完全に固定しない」ようにしています。
5時半に起きる日もあれば、6時の日もある。

でも、どんな日でも “朝一番で身体を動かす” という流れだけは崩さない
その柔軟さが、継続を苦にしない秘訣になっています。

大切なのは、「続ける勇気」よりも「戻れる安心感」です。

気合で前に進むのではなく、
“戻れる自分のペース” を守る設計をつくること。

それが、長く穏やかに続けるための本当のコツだと思います。

自由とは、前に出ないことだった

身体が求める “静かな自由”

若いころの私は、「自由」と聞くと、
新しいことに挑戦したり、人より先に動いたりすることだと思っていました。

“前に出る” ことが、強さであり、成長の証だと信じていたのです。

けれど、年齢を重ねるにつれて、
それがいつの間にか消耗」に変わっていたことに気づきました。

無理に人と関わりすぎたり、
誰かのペースに合わせようとしたりすると、
心も身体も少しずつすり減っていきます。

そんなとき、階段を降りる瞬間のことを思い出しました。

登るときのような達成感はありませんが、
降りる動作には、どこか解放のような心地よさがあります。

一段一段、力を抜きながら重心を下ろす。
呼吸が整い、視界が少しずつ広がっていく感覚。

それはまるで、静かな自由” に触れているようでした。

本当の自由とは、何かを増やすことでも、前へ進み続けることでもなく、
自分のペースを乱されずにいられること」なのだと思います。

動かなくても、焦らなくても、
整った身体のままで過ごせる時間こそが、いちばん自由なのです。

陽に寄りすぎると、身体が壊れる

以前の私は、人とのつながりや、
“見られる場所” に立つことを大切にしていました。
仕事でも、発信でも、いつも「外」に意識を向けていました。

けれど、外に出続けるというのは、
光を浴びる一方で、影に休む時間を失うということでもあります。
どんなに強い光でも、長く浴び続ければ身体は疲れてしまいます。

だから今は、あえて “” に戻る時間をつくるようにしています。

人と話さない朝、スマホを開かない夜、静かに過ごす休日。
それらの時間が、をゆっくりと元の位置に戻してくれるのです。

自由であること」は、
常に前に出ることではなく、いつでも下りられる柔らかさを持つことだと思います。

登るためには、降りる余白が必要です

そのバランスの中でこそ、
自分らしいリズムを保ちながら生きていけるのだと感じます。

階段を降りるとき、手すりに軽く触れながら一段ずつ脚を下ろします。

登るときとは違い、 重力に任せる心地よさがそこにはあります。
自由” とは、まさにこの感覚に近いのかもしれません。

無理に何かをつかもうとせず、いまある流れを受け止めていく

それができると、身体も心もふっと軽くなります。

今年もきっと、階段のように登ったり降りたりしながら、
静かに、深く、整ったまま生きていくのだと思います。

まとめ:階段を一段ずつ登り降りするように、今年も続ける

一年を振り返って思うのは、
「がんばって変わる」よりも「整えながら続ける」ほうが、
ずっと自然で、穏やかに生きられるということです。

階段を登るように、
一段ずつ、確かめながら進む
途中で疲れたら、少し降りて休んでもいい

でも、また同じ場所から登り直せばいいのです。

続けるとは、止まらないことではなく、
戻れることを怖がらないことだと思います。

身体が覚えたリズムを信じて、
無理にペースを上げず、静かに進めば
気づかないうちに、前へと進んでいます。

そして、もし身体が整っているなら
人生をいじる必要はありません

「何かを変えなければ」と思うより、
今の流れを大切にするほうが、
結果的に、自分らしく成長できるのだと思います。

この一年も、大きく動かなくていい。
淡々と、静かに、深く、整ったまま進む

それが、今の私にとっての「前に進む」ということです。

階段を登り降りできる身体がある

その事実だけで、もう十分前に進めている

そう信じながら、また新しい一日を始めていきたいと思います。

おことわり

本記事の内容は、筆者の個人的な体験と気づきをもとに構成しています。

健康状態や生活習慣の改善を目的とするものではなく、医学的・専門的な助言を代替するものではありません。

記事内の提案や行動は、あくまで参考としてご自身の体調・環境に合わせてご判断ください。

本記事で使用した画像はNapkin AIを利用しています。

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この記事を書いた人

“じみ” に “もくもく” と “すきなこと” を “継続する” ことが最近の楽しみです。

『人生を自由に楽しく』が目標です。

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