減量は終わったのに、集中力だけが深まっていく朝があった
10年前、健康診断の数値をきっかけに「階段を使う生活」を始めました。
当時は、昼食後の血糖値上昇を少し抑えようという散歩のつもりで、身近な階段を登り降りしていました。
それだけのことが、なぜか続いたのです。
体重は紆余曲折を経て、10年かけて13 kg減りました。
でも、その先には数字では測れない変化が待っていました。
「体が軽い」というより、「判断が濁らない」。
そんな感覚が、ゆっくりと根づいていったのです。
気づけば10年超が経ちました。
仕事の内容も、環境も、収入も大きく変わってはいません。
それでも不思議と、「下がらない」という安心感があります。
焦っても、落ち込んでも、底が抜けない。
その「壊れない毎日」は、いつの間にか “階段を続けた副作用” になっていました。
健康の話をしているようで、いつの間にか「働き方」や「お金の話」になっている。
そう気づいたとき、ようやくこの10年を言葉にできた気がしたのです。

違和感:健康を超える “もう一段上” の変化

「健康」では説明できない変化がありました
ある朝、階段を登り終えたあと、息を整えながらふと気づきました。
疲れていない。
それどころか、頭の中がすっきりしていて、次の行動にすぐ移れるのです。
以前なら「少し休もう」と思っていたのに、いまは「このまま行ける」と感じる。
その小さな違いが、積み重なるほどに不思議でした。
健康になったというより、安定したという表現のほうがしっくりきます。
体力が増えた感覚よりも、「揺れにくくなった」感覚。
眠れない日があっても、朝には戻っている。
感情の波が小さくなり、判断のトーンが整っている。
まるで、身体と心の両方に “クッション” ができたようでした。
疲れにくさより「判断の荒れなさ」
この変化を言葉にしようとして、最初に浮かんだのは「疲れにくくなった」でした。
けれど、それでは少し違います。
実際には、仕事の量も責任も増えているから、身体は以前より忙しい。
それでも、集中が途切れないのです。
たとえば、会議中に話が逸れてもイライラしない。
メールのトーンも落ち着いたまま。
一日の終わりに「今日は荒れなかったな」と思う日が増えました。
それは、単なる体力ではなく「判断の落ち着き」でした。
階段を登るリズムが、呼吸を整えるように、思考も整えていたのかもしれません。
階段を使うたびに、心拍数がリズムを取り戻す。
そのリズムが、仕事のテンポや感情の使い方にまで影響していたのだと思います。
「健康」と「働き方」の境界が、少しずつ曖昧に
このころから、「健康」と「仕事の質」が地続きになっていると感じるようになりました。
数字には表れないけれど、それは確かに “収入が下がらない身体” のはじまりでした。
健康という言葉の外側に、もう一段上の変化がある。
それは筋肉でも、ダイエットでもなく、「壊れにくい自分」になること。
私はそのことを、階段の上でようやく自覚しはじめたのです。
「健康=年収アップ」説は、単純ではない

数字で説明できること、できないこと
「健康的な人は年収が高い」という話を、一度は聞いたことがあると思います。
実際、欧米の調査では、運動習慣のある人ほど平均年収が高いという結果が出ています。
日本のデータでも、定期的に身体を動かす人は、非運動層よりおおむね年収が高い傾向があるそうです。
けれど、ここで立ち止まって考えたくなるのです。
─ それは本当に、運動が収入を上げているのでしょうか?
多くの研究者が指摘しているのは、「因果関係の複雑さ」です。
つまり、「健康だから年収が高い」のではなく、“続けられる人” が結果的に安定しているという見方です。
体調管理を継続できる人は、仕事の管理も上手く、計画性も高い。
それが長い目で見て、昇給や評価につながる。
そうした “間接的な連鎖” が、データの裏に隠れています。

私の実感は、むしろ「下がらない」方向にあった
私自身、この10年で劇的に年収が上がったわけではありません。
ただ、不思議なことに「下がる気配がない」と感じるのです。
つまり、“安定して働ける期間” そのものが長くなったという実感があります。
運動が直接お金を増やすわけではありません。
けれど、壊れないリズムが「下がらない働き方」をつくる。
私はその因果のほうが、現実的で、Persistent らしいと思うのです。
論文は、あくまで「補助輪」
数字や研究は、確かに説得力をくれます。
でも、それはあくまで “言葉の補助輪” のようなものです。
人それぞれの生活の中で、運動や習慣がどんな意味を持つかは違います。
私にとって階段は、筋トレでもダイエットでもなく、「安定を取り戻す装置」でした。
それが結果的に、仕事の流れを整え、収入を支える “基盤” になっただけのことです。
10年の階段で得た “壊れないペース”

積み上げではなく、ペースの設計だった
10年という年月を振り返ってみると、私が続けていたのは「努力」ではなく「設計」だったように思います。
階段を登り降りすることを習慣にした当初は、身体を鍛える意識が強くありました。
しかし途中から、目的が少しずつ変わっていきました。
「今日は疲れているからやめよう」と思う日を、あえて作らないようにした。
そうすることで、ペースが乱れず、日常が安定しました。
それがやがて、“壊れない働き方” の土台になっていったのです。
私は階段を “成果を出すための手段” としてではなく、
“日々を支える地形” のようなものとして使っていました。
いつもそこにあり、無理をせず、淡々と繰り返す。
その感覚が、仕事や生活にも自然に広がっていきました。
朝の数分が、一日の安定を決めていた
朝、階段を登り降りすると、息が上がります。
でも、そのあとに訪れる静かなリズムが、一日の始まりを整えてくれました。
心拍が整い、呼吸が深くなり、頭の中のノイズが減る。
その状態で仕事を始めると、判断がぶれにくいのです。
私にとって階段は、思考のリセットボタンのようなものでした。
不思議なことに、その積み重ねが、一日全体の “波” を滑らかにしていきました。
会議で声を荒げることが減り、夜になっても体の重さを感じにくくなる。
疲れを翌日に持ち越さない日が増えたのです。
結果的に、回復のサイクルごと整う感覚を得るようになりました。
壊れないリズムは、挑戦の余白を生む
壊れないというのは、頑丈になることではありません。
多少の負荷があっても、元に戻れるという意味です。
この「戻れるリズム」ができると、不思議と挑戦が怖くなくなります。
疲れても、落ち込んでも、戻る場所がある。
だから、もう少し前に進んでみようと思えるのです。
気づけば、私の中で「階段」は努力ではなく、安定のメタファー(比喩)になっていました。
壊れないペースは、挑戦を支える下地であり、
それが結果的に “収入が下がらない身体” を形づくっていたのだと思います。
「静かな変化を見届ける時間」
気づけば、朝の階段を登り降りする時間が一日の “確認タイム” になっていました。
昨日より上手く登れたかではなく、昨日と同じリズムで登れたか。
そんな小さな確認を重ねるうちに、
私は「成長」を数字ではなく感覚で測るようになりました。
階段を登り降りするたびに、自分の呼吸の “質” が見える気がします。
そんな自分に気づけるだけで、少しだけ安心できるのです。
たぶん、習慣が支えているのは身体ではなく、
「自分を観察できる時間」なのだと思います。
それが、壊れない日常の本当の仕組みでした。
「上がる」より「下がらない」ことの価値

“上昇” の先にあった違和感
健康でも仕事でも、私たちは「上がること」を目標にしがちです。
数値を上げる。評価を上げる。収入を上げる。
けれど、長く続けてみると、それだけでは説明できない感覚がありました。
上がった瞬間の喜びよりも、「下がらない安定」のほうが日々を支えてくれる。
その気づきが、私にとっての転換点でした。
階段を登り降りすることを続けていると、確かに脚は強くなります。
でも、それ以上に感じたのは「崩れにくくなった」という変化です。
それは、上に行く力ではなく、落ちない支えのようなものでした。
安定は「止まること」ではない
「下がらない」という言葉を聞くと、停滞をイメージする人もいるかもしれません。
でも実際には、安定している人ほど、変化に強いのだと思います。
そうした「動きながら保つ」安定が、10年という時間の中で育っていきました。
私はこの状態を、「上がらない安心」ではなく「揺れない前進」と呼びたいと思っています。
結果を追いかけるより、ペースを守ることに集中する。
それが回り回って、自分の仕事や評価を守ってくれていたのです。
「下がらない身体」は、心の余白を生む
階段を登り降りするとき、私はもう “成長” を考えません。
考えているのは、「今日も同じように戻れるかどうか」。
それが確認できるだけで、十分なのです。
下がらない身体は、余裕をつくります。
焦らなくていい。人と比べなくていい。
余白が生まれると、新しいことを試すエネルギーが湧いてきます。
そして、その小さな挑戦の積み重ねが、気づけば次の変化を呼んでいました。
結局のところ、「上がる」と「下がらない」のあいだにあるのは、安心感の質なのだと思います。
上昇の喜びは一瞬ですが、下がらない安心は毎日を支えてくれます。
その日常の安定こそが、Persistent-Wins で語りたい “勝ち方” でした。
まとめ:階段は、壊れない人生の足場

階段は、努力ではなく「地形」でした
10年のあいだ続けてきて、ようやくわかりました。
階段を登り降りすることは、努力ではなく「地形を選ぶこと」だったのです。
私が頑張っていたのではなく、
階段という “ゆるやかな抵抗” が、日常を整えてくれていました。
その抵抗があることで、リズムが生まれ、戻る力が育ちました。
つまり、壊れない人生には、少しの傾斜が必要なのだと思います。
「成果」ではなく「設計」としての習慣
多くの人は、習慣を「積み上げ」だと考えます。
でも実際には、習慣は「設計図」に近い。
私の場合、階段を登り降りするという行為は、体力を増やすための手段ではなく、
一日の “呼吸の構造” を整える設計そのものでした。
その設計があるおかげで、仕事も感情も安定し、
下がらない日々を続けられたのだと思います。
派手ではないけれど、確かに「勝ち」だった
階段を登り降りしても、見える景色は劇的には変わりません。
ただ、同じ道を行き来するうちに、
空の色の違いや、風の温度の変化に気づけるようになりました。
それは、成果とは違う「継続の報酬」でした。
壊れない人生とは、上がり続けることではなく、
戻れる自分でいられること。
その静かな安定が、Persistent-Wins のいう「勝ち」に近いのだと思います。
派手ではありませんが、こういう積み上げ方も、ひとつの “Persistent な勝ち” だと感じています。
エピローグ:静かな勝ち方

10年を振り返って思うのは、「何かを変える」よりも、
「戻れる場所を持つ」ことのほうがずっと大切だった、ということです。
若いころは上を目指して焦っていました。
でも、今はようやくわかります。
安定は、逃げではなく準備なのだと。
階段は私にとって、挑戦と休息のあいだにある中間地帯です。
この繰り返しが、人生の温度を一定に保ってくれました。
それは健康でも、成功でもなく、“調律” に近い行為です。
「派手さはないけれど、確かに前に進んでいる」。
そう感じられる日々こそ、Persistent-Wins が大切にしてきた生き方だと思います。
どんな変化の中にいても、
自分の呼吸を取り戻せる場所さえあれば、人生はもう、壊れません。
おことわり
本記事は、筆者個人の経験と実感に基づく内容です。
健康状態や効果には個人差があります。
医療・経済的な助言を目的としたものではありません。
生活習慣の変更や運動を行う際は、ご自身の体調や専門家の助言に沿って行ってください。
本記事で使用した画像はNapkin AIを利用しています。
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