登り降りすることは、考えること ─ 階段とナヴァル哲学が教えてくれた生き方
気がつけば、この階段登り降りを続けてもう10年になります。
最初は、運動不足を解消するために始めたごく単純な習慣でした。
しかし、続けるうちに気づいたのです。
この行為は、ただのトレーニングではなく、人生そのものを映す鏡なのだと。
登り降りすることは、考えること。
身体を動かしながら、頭の中ではいつも自分の方向や選択について考えている。
そんな日々の中で出会ったのが、起業家ナヴァル・ラヴィカントの言葉でした。
「努力量より、方向を定めよ。」
この一文に出会ったとき、まるで長年の階段で過ごす時間が言葉になったような感覚を覚えました。
どれだけ努力を重ねても、方向を誤れば進むほど遠ざかってしまう。
逆に、正しい方向に立てば、少しずつでも確実に積み上がっていく。
健康を育てることも、人生を豊かにすることも、原理は同じです。
大切なのは「どれだけ頑張るか」ではなく「どの方向へ進むか」。
そして、その方向を信じて淡々と積み重ねること。
今回の記事では、私が階段登り降りの習慣を通して実感した “健康の哲学” を、
ナヴァル・ラヴィカントの言葉と重ねながら考えていきます。
テーマは一つ ── 「方向 × 継続」こそが、健康と豊かさを生む鍵です。
第1章:富を敵視していると、本当に豊かになれない

若いころ、私は「お金のために生きるのは格好悪い」とどこかで思っていました。
健康についても同じで、「体のことを気にしすぎるのはストイックすぎる」と感じていた時期があります。
けれども今振り返ると、その考えこそが、心と体の豊かさを遠ざけていたのだと感じます。
ナヴァル・ラヴィカントは言います。
「富を敵視していると、本当に富を得られなくなる。」
この言葉を最初に読んだとき、私は「富」という言葉を「健康」に置き換えて考えました。
健康もまた、富と同じように “扱い方” 次第で離れていく存在です。
食事をおろそかにしたり、身体を酷使したり、自分のコンディションを軽視したりすると、
健康は静かに距離を取っていく。
私が階段登り降りを始めたころ、目的は単純に「やせたい」でした。
だから、成果が見えないとすぐに気持ちが折れてしまいました。
けれどもある日、階段を登り降りしながらふと思ったのです。
「なぜ “結果を出すため” だけに、自分の体を動かしているのだろう?」
その瞬間から、私は「体と向き合う」姿勢を少しずつ変えていきました。
この意識の変化が、継続の原動力になりました。
富も同じです。
「お金を稼がなきゃ」と焦って行動しても、それはどこか消耗的な方向に傾きがちです。
けれども、価値を生み出し、それを人と共有するプロセスを楽しめば、
結果として富はあとから静かについてくる。
健康も富も、「敵視」ではなく「共に育てる」関係を築くこと。
その感覚を持てるようになってから、私は日々の階段時間がまるで変わりました。
登り降りするたびに、体の声を聞き、呼吸を整え、
「今ここにある豊かさ」を感じ取るようになったのです。
ナヴァルの言う「倫理的な富の創造」は、
私にとっては「誠実な健康との向き合い方」に重なります。
お金を得ることも、体を整えることも、どちらも “丁寧に育てる姿勢” が必要なのです。
敵視していたころには見えなかった「豊かさの土台」が、
今では確かに、自分の足元に広がっている気がします。
第2章:「努力量」より「方向」を探る

階段の登り降りを始めたころ、私は「努力すれば結果が出る」と信じていました。
当初は昼に、最近は朝早く起きて、ひたすら登り降りを繰り返す。
少しでも早く体重を落とそうと、息を切らしながら数をこなしていました。
けれども、思うように成果は出ませんでした。
疲れはたまり、筋肉痛は長引き、心も体も続かない。
気づけば「こんなに頑張っているのに、なぜ変わらないんだろう」と焦る自分がいました。
そんなとき、ナヴァル・ラヴィカントの言葉に出会いました。
「努力量は勝負を決めない。方向を探り、定めよ。」
この一文が、まるで心に矢のように刺さりました。
自分は努力していたつもりだったけれど、“方向” が定まっていなかったのです。
たとえば、階段の登り降りも「やせるため」だけの運動だと、結果が出ないときに意味を見失います。
でも、「体を整え、頭をリセットし、今日を良い一日にする時間」だと考えると、
その一段一段に “目的” が生まれます。
目的が変われば、努力の質も変わります。
焦るように数を増やすのではなく、呼吸を感じながら登る。
天気や季節の変化に気づき、体調に合わせてペースを調整する。
そうした“方向性のある努力” こそが、長く続く力になると実感しました。
健康だけでなく、人生全体でも同じです。
何をするか、誰とするか、どの方向に進むか。
ナヴァルが言うように、努力そのものよりも「判断」と「選択」が成果を左右する。
この考えを取り入れてから、私は階段の登り降りを「生活の中心軸」として再定義しました。
体を整えることが、思考を整えることにつながる。
朝の階段が、1日のリズムと集中力を整える “方向の起点” になる。
今では、心拍数や呼吸のリズムを感じながら登る時間が、自分にとっての “瞑想” であり、“学びの場” です。
努力を積み重ねるというより、方向を確認する時間。
登るたびに、自分のコンパスを調整しているような感覚です。
健康を築くにも、人生を設計するにも、重要なのは「量」ではなく「向き」。
ナヴァルの哲学は、階段という単純な行動に驚くほど自然に溶け込みます。
努力を続けることよりも、正しい方向に歩き続けること。
それこそが、静かに、しかし確実に豊かさを育てていく道だと感じています。
第3章:「所有する」から始まる自由

ナヴァル・ラヴィカントはこう語ります。
「事業の一部を所有しない限り、経済的自由への道はない。」
この言葉を読んだとき、私はそれを “健康” の観点で置き換えてみました。
「身体の一部を所有しない限り、心身の自由への道はない」と。
社会の中で働いていると、自分の時間や体力を “誰かのため” に使うことが多くなります。
もちろんそれは必要なことですが、気づかぬうちに「自分の身体を他人に貸し出している」ような感覚になることがあります。
その状態では、どこかで心のバランスを崩してしまう。
私が階段登り降りを始めたのは、もしかするとその “取り戻し” のためだったのかもしれません。
階段の登り降りは、誰の許可もいらない運動です。
器具も不要で、時間も場所も自分で決められる。
気温や体調に合わせてペースを変え、思考や感情と向き合いながら登る。
そこには「自分の体を、自分の意志で動かす」という純粋な自由があります。
毎朝、階段を登り降りするたびに感じるのは、
「これは誰にも奪われない、自分の時間だ」という確かな感覚です。
SNSもニュースも届かない場所で、息を整えながら、自分の身体と静かに対話する。
その数十分が、1日の指針をつくり、心を再び “自分のもの” に戻してくれるのです。
健康を維持するということは、「他人に預けていた自分を、もう一度引き取ること」でもあります。
病院や薬に頼ることも大切ですが、最終的に体を管理するのは自分自身です。
食事、睡眠、運動、心のケア──それらを “自分の事業” として経営する意識を持つ。
そうすると、健康は単なる結果ではなく、自分の意思によって築く資産に変わります。
ナヴァルが言う「所有」は、ビジネスだけの話ではありません。
自分の身体、時間、思考を誰かに委ねず、「自分の人生を自分で引き受ける」という姿勢そのものです。
階段の登り降りという一見地味な習慣も、私にとっては「身体の所有」を取り戻す象徴です。
自分の足で登り、自分のリズムで呼吸し、自分の意志で続ける。
その積み重ねが、心身の自由を静かに育ててくれるのです。
第4章:「引退」とは、今この瞬間を生きること

ナヴァル・ラヴィカントの言葉の中で、私が最も好きな一節があります。
「引退とは、ありもしない明日のために今日を犠牲にするのをやめること。」
この一文を読んだとき、私は思わず立ち止まりました。
“明日のために今日を犠牲にする” ── これはかつての私そのものでした。
「いつか時間ができたら運動しよう」
「老後のために体を鍛えておこう」
「あと少し我慢すれば、きっと楽になる」
そんな言葉を自分に言い聞かせながら、
今を犠牲にして、未来の安心を追いかけていました。
でも、気づけばその “未来” はいつまで経っても来ない。
そのことに気づいたのは、朝の階段を登り降りしている最中でした。
階段を登り降りするとき、未来のことを考える余裕はありません。
足の感覚、呼吸のリズム、風の流れ。
すべての意識が “今この瞬間” に集中します。
それは、まるで身体が瞑想しているような時間です。
そのとき初めて、私は理解しました。
「引退」とは、仕事をやめることではなく、
“未来のために今を犠牲にする生き方” をやめることなのだと。
もし、今日という日がすでに充実しているのなら、それはもう “引退後のような生き方” と言えるのかもしれません。
朝の階段時間は、まさにその感覚を教えてくれます。
仕事がどれだけ忙しくても、社会的な立場がどうであっても、
ほんの数十分でも、自分の体と心に静かに向き合う時間を持てば、
人は “自由な生き方” を取り戻せるのだと思います。
健康づくりとは、未来のための貯蓄ではなく、今この瞬間を生きる練習。
登り降りするたびに呼吸を整え、心をリセットし、「今日という日をどう生きたいか」を再確認する。
それが私にとっての “引退” であり、“自由の形” です。
ナヴァルの哲学を健康習慣に重ねると、「生き方」と「体の使い方」が不思議なほど一致します。
未来のために走るのではなく、今日という一段を丁寧に踏みしめること。
その積み重ねの中に、穏やかで確かな豊かさが育っていくのだと思います。
第5章:「レバレッジ」は健康にも働く

ナヴァル・ラヴィカントは、富を築くための要素として「レバレッジ」を挙げています。
「レバレッジなくして富はない。」
レバレッジとは、少ない力で大きな成果を生む “てこの原理” のようなものです。
ビジネスの世界では、資本・人・テクノロジーなどがその代表例ですが、
私は階段の登り降りを通じて、「健康にもレバレッジは存在する」と感じています。
健康のレバレッジとは、仕組みと習慣による増幅効果のことです。
たとえば、私の場合──
- 朝、決まった時間に階段を登る
- 運動の前に水を一杯飲む
- 終わったあとに記録をつける
このシンプルなルーティンが、1日の体調・思考・行動のすべてに波及します。
階段の登り降りをした日は、集中力が高まり、心が落ち着き、食事も自然と整う。
まるで一本の線が、日常全体を貫くように整っていくのです。
ナヴァルは「限界費用ゼロで複製できるもの」がレバレッジだと語ります。
健康においては、まさに “習慣” がそれにあたります。
一度仕組み化してしまえば、努力を意識しなくても、自動的に成果が積み上がっていく。
つまり、健康は続けるほどに効率が増す複利構造なのです。
たとえば、同じ30分の階段でも、1年目と5年目では意味が違います。
体力・筋力・代謝だけでなく、「登る・降りる=整う」という心の反応まで育ってくる。
積み重ねが自分の “資本” となり、その資本がさらに成果を生み出す。
これこそ、ナヴァルが言う “レバレッジが効いた生き方” に他なりません。
さらに、レバレッジは「人とのつながり」にも広がります。
私は時々、X(旧Twitter)やブログで階段の記録を発信しています。
誰かがそれを見て「今日、自分も登ってみよう」と思ってくれるとしたら・・
その瞬間、自分の習慣は他者にも波及し、社会的レバレッジとなっているのです。
健康づくりの本質は、ひとりの努力を超えた「共鳴の輪」にあります。
自分の心と体を整えることが、周囲にも良い影響を与える。
それが連鎖していくとき、運動は単なる健康維持ではなく、“社会に価値を広げる行為” へと進化します。
つまり、健康のレバレッジとは、
- ① 習慣化による自動複利
- ② 他者への波及による共鳴
この二つが重なった状態です。
ナヴァルが語るレバレッジの力は、ビジネスのためだけではなく、
人生全体 ── とくに健康の領域でも発揮される。
一段ずつ登り降りする行為が、自分の体と心、そして周りの人々を少しずつ豊かにしていく。
それが叶うとするたら、静かに広がる “健康の複利” なのだと思います。
終章:「方向 × 継続」がつくる見えない富

階段を登るとき、降りるとき、私はいつも同じ場所を往復しています。
景色も変わらず、道のりも短い。
それでも、続けるたびに、確かに何かが変わっていく。
足の筋肉が少しずつ強くなり、心肺の余裕が広がる。
呼吸が深くなり、心が静まる。
何より、「今日も続けられた」という小さな誇りが、自分の中に積み上がっていく。
ナヴァル・ラヴィカントは言います。
「同じゲームを何度も繰り返せ。富も人間関係も知識も、複利で殖(ふ)える。」
健康も、人生も、まさにこの「複利のゲーム」です。
1回の努力では大きな変化は見えませんが、
正しい方向に少しずつ積み重ねれば、やがてそれが “見えない富” となって返ってくる。
私にとって、階段の登り降りは「方向 × 継続」の象徴です。
短期的な成果を求めず、日々の積み重ねを信じる。
昨日よりも少し呼吸が整えば、それだけで十分。
そうした感覚が、体だけでなく心までも軽くしてくれます。
ナヴァルの哲学は、ビジネスの成功法ではなく、生き方の構造を教えてくれます。
「方向」とは、自分が何を大切にし、どんな状態を理想とするかを定めること。
「継続」とは、その理想に近づくために、小さな行動を絶やさないこと。
それが健康にも、富にも、信頼にも、すべてに通じていく。
そして、私がこの習慣を通じて感じた最大の恩恵は、
「目に見える成果よりも、目に見えない心の豊かさ」のほうが長く、静かに、自分を支えてくれるということです。
登りの最後、階段の上に立ったとき、いつも思います。
今日も自分の足で登ってこられたこと。
方向を見失わず、淡々と積み上げてこられたこと。
その一段一段が、私の人生を静かに形づくっているのだと。
「方向 × 継続」──それは、健康を超えた “生き方の法則” です。
ナヴァルの言葉に導かれながら、これからも私は、この階段を登り降りし続けていくでしょう。
その足音のひとつひとつが、見えない富となって、確かな明日へとつながっていくのです。
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おことわり
※この記事は、私自身の健康習慣と考察をもとに書いています。
特定の医療行為や判断をすすめるものではありません。日々の実践や感じたことを、ひとつの“生き方の記録”として綴っています。
本記事で使用した画像はNapkin AIを利用しています。
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