階段の登り降りと「青い鳥はいない」:40代の私が静かな継続に腹落ちした理由

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「青い鳥はいない」という言葉に、なぜ私は引っかかったのか

青い鳥はいない

この言葉を初めて意識したのは、両学長のYouTubeを見ていたときのことです。

副業や投資の話の流れで出てきた言葉でした。
もっといい方法があるはずだと探し続けても、青い鳥はいない」というニュアンスでした。

最初に思ったのは、「夢を否定するような言葉だな」ということでした。

40代になって、より良い選択をしたいと思うのは自然なことのはずです。

情報を集めて、
比較して、
自分に合ったものを選ぶ。

それの何がいけないのか、と。

医療の仕事をしていると、
エビデンスに基づいて判断することの大切さを日常的に感じます。

根拠のない選択より、
情報を集めた上での判断の方が信頼できる

そういう感覚が職業的に染みついているせいか、
調べてから動く」というスタンスに、自分なりの正当性を感じていました。

でも少し経ってから、過去の自分を振り返ってみました。

副業を始めようとした。
でも結局、ノウハウを調べている間に気力が落ち着いていきました。

投資も始めようとした。
でも正解を探し続けて、口座を開くまでに半年かかりました。

運動も何度か再開しようとした。
でも最適な方法を考えている間に、3日で終わりました。

どれも同じ構造でした。

探しているうちに、始まらなかった」。

その中で、唯一続いたものがあります。

階段の登り降りです。

特別な理由はありませんでした。
思いつきででエレベーターの代わりに使い始めただけです。

なぜあれだけが続いたのか。

振り返ってみると、「青い鳥はいない」という言葉の意味が、
少しずつわかってきた気がしました。

この記事では、その過程を書いています。

モチベーションの話ではありません。

続いた構造の話です。

「青い鳥はいない」と聞いたときの違和感

最初は “夢を否定する言葉” に聞こえました

もっといい方法があるはずだ」という感覚は、40代になるとより強くなる気がします。

時間は限られている。
体力も、気力も、若いころより落ちている。
だからこそ、無駄な回り道はしたくない。
正しい方向に、効率よく進みたい。

その感覚が強いほど、情報収集は丁寧になります。

口コミを読み込み、
比較サイトを確認し、
実体験のブログを探す。

それは合理的な行動のはずでした。

だから「青い鳥はいない」と聞いたとき、
そんなことを言ったら、何も選べなくなる」と思いました。

探すことを否定されているように感じたのです。

ただ、その違和感の正体を少し掘り下げてみると、
「探すことを否定された」のではなく、
探し続けることへの問いかけをされた」のかもしれない、と思い始めました。

探すこと自体が悪いわけではない。
ただ、探し続けることが目的にすり替わっていないか、

という問いでした。

最初に反発が起きるとき、
それはたいてい図星に近いときだと、どこかで聞いたことがあります。

自分は該当しない」と思いながらも、
うまく反論できない感覚が残っていました。

その居心地の悪さは、しばらく続きました。

しかし、過去を振り返ると同じことを繰り返していました

少し落ち着いてから、過去の行動を振り返ってみました。

副業のとき

最初の2週間は、ほぼ情報収集でした。

ブログかYouTubeか、
ライティングかデザインか、
アフィリエイトかコンテンツ販売か。

比較している間に、そもそもの目的意識が薄れていきました。

その後、数か月して別の副業に興味が移り、
また同じように調べ始めました。

結局、何かを実際に作ったり発信したりした記憶は、ほとんどありません。

投資のとき

つみたてNISAかiDeCoか、
インデックスか個別株か。

証券会社によって推奨も違う。
記事ごとに言っていることが違う。

読めば読むほど「もう少し理解してから」という気持ちになっていきました。

気づいたら、季節が変わっていました。

運動のとき

筋トレがいいのか有酸素がいいのか、
ジムか自宅か、
朝か夜か。

40代の身体に合った方法を探し始めると、答えがひとつに絞れませんでした

そうしているうちに「来週から始めよう」となっていきました。

3つとも、構造は同じでした。

「探している間に、時間が過ぎていた」。

情報は増えていたけれど、現実は何も変わっていませんでした
探していた時間は、行動していた時間ではありませんでした

そして当時の自分は、それを「準備している」と呼んでいました。

なぜ階段の登り降りだけは続いたのか

なぜ階段の登り降りだけは続いたのか

唯一違ったのは「探さなかったこと」でした

階段を使い始めたのは、特に理由があったわけではありませんでした。

10年ほど前、職場の健診後、保健指導のお呼びがかかって、
階段を使ったのが最初でした。

それだけです

「階段運動が効果的かどうか」を調べたわけでも、
「何階から始めるべきか」を考えたわけでもありませんでした。

道具は何もいりません。
シューズも、ウェアも、アプリも不要でした。
始めるための準備が、ほぼゼロでした。

そして何より、「もっと良い方法」が存在しにくい行動でした。

階段の登り降りに、流派はありません。
比較する対象がありませんでした。

だから探しようがなかった。
探せなかったから、始めるしかなかった

今思えば、それが続いた最初の理由だったかもしれません。

すでに生活の中にありました

もう一つ気づいたのは、階段はすでに日常の中にあった、ということです。

通勤の動線上にありました。
職場の中にもありました。
意識して時間を作らなくても、そこにある

「やる時間を確保する」という行為が、ほぼ発生しませんでした

意志の力を使わなくていい。

これは思った以上に大きかったです。

副業も、投資も、別の運動も、
「始めるための行動」がいくつか必要でした

パソコンを開く、
口座を作る、
ジムに行く。

その一手間が、意外とハードルになっていました。

「今日は忙しいから明日にしよう」という判断が入り込む余地が
いくつも存在していました。

階段には、その一手間がありませんでした

いつもの場所にある階段を、ただ登り降りするだけでした

判断が発生しないから、先送りも発生しませんでした

「正しさ」ではなく「存在」に乗った習慣

続くものは、最初からそこにある

この感覚は、習慣について語られる
既存のルーティンに紐付ける」という考え方に近いものです。

でも私の場合は、意識してそれをやったわけではありませんでした。
気づいたら、そうなっていただけです。

新しく何かを始めようとするとき、
人は往々にして「何を始めるか」を考えます。

でも続くかどうかは、
すでにある何かに乗れるか」で決まる部分が大きいのかもしれません。

正しい方法よりも、続けられる構造の方が、
長い目で見ると重要でした。

これは振り返ってから気づいたことで、当時は何も考えていませんでした

副業・運動・投資に共通していた “探す構造”

情報収集をどのように行うべきか?

人は “もっといい方法” を探してしまいます

なぜ人は探し続けてしまうのか、少し考えてみました。

ひとつには、情報が多すぎるからだと思います。

検索すれば、いくらでも「より良い方法」が出てきます。
しかも、それぞれに一定の説得力があります。

比較すればするほど、絞り込めなくなっていきます

もうひとつは、探している間が「安心」だからだと思います。

情報を集めているとき、自分は何かをしている気になれます。

失敗するリスクがない。
選び間違えることもない。

探し続けることは、ある種の安全地帯でした。

医療の仕事をしていると、
情報は判断のためにある」ということを当たり前のように感じています。

画像を撮る、データを取る、
それは診断や治療のための手段です。

情報そのものが目的になることはありません

でも自分の日常生活では、いつのまにかその順序が逆になっていました。

情報を集めることが、何かをしている感覚を生み出していました。

探すほど、行動から遠ざかっていました

情報収集が、行動の代わりになっていました。

副業のノウハウを3時間調べた日、
自分は「今日は副業のために時間を使った」と感じていました。

でも実際には、何も作っていなかったし、
何も発信していませんでした。

調べることで、やった気になっていた

そしてその満足感が、実際の行動を遠ざけていました。

これは自分だけの話ではないと思います。

情報収集が行動に見えてしまう構造は、
情報があふれている環境では自然に起きることのように感じます。

もうひとつ気づいたのは、
「完璧な情報が揃ってから動く」という前提が、
無意識にあったということです。

でも完璧な情報が揃うことは、たぶんありません

揃ったと思ったら、また新しい情報が出てきます。

終わりのない準備が、ずっと続いていました。

階段の登り降りは「探せない」

階段に関しては、深く調べようにも調べられませんでした。

「階段の正しい登り方」はあっても、
「どの階段習慣が最も効果的か」を延々と比較する情報は、ほとんどありません。

選択肢が少ない。
だから迷いようがなかった。
迷えなかったから、始まった。

情報が少ないことが、むしろ行動のきっかけになりました。

逆説的に見えますが、自分の経験としては腑に落ちています。

行動せざるを得ない環境」が、習慣を作ったのだと思います。

意志の力でも、モチベーションでもなく、
選択肢がなかったことが、結果として続く構造を生んでいました。

どんな運動を始めるか迷っている時間が、そもそも発生しませんでした

私にとっての答えは「静かな継続」でした

変化はいつも “あとから” やってきました

続け始めてしばらくは、何も変わっていませんでした

体重が劇的に落ちるわけでもなく、
体力が急に上がるわけでもない。

これで本当にいいのか」と思う時期もありました。

でも数か月経ったころ、気づいたことがいくつかありました。

階段を登るときの息の上がり方が、少し落ち着いていました。
以前より疲れにくくなった気がしていました。
体重も、気づいたら少し落ちていました。

変化は先にやってくるものではありませんでした。
続けた後に、あとからついてくるものでした。

派手な変化ではありません。

でも静かに、確実に、何かが動いていました

振り返って初めて「変わっていたんだ」と気づくような変化でした。

それは、探していたときには一度も感じられなかったものでした。

気づいたときには、もう習慣になっていました

あるとき、エレベーターが近くにあるのに、
自然に階段の方に足が向いていることに気づきました。

意識していなかった。
選んでいなかった。
ただ、そちらに向かっていました。

その瞬間、「あ、習慣になっているんだ」と思いました。

意志でも、努力でもなく、
構造として定着していました。

やめようと思わない限り、
続く状態になっていました。

最初から「習慣にしよう」と決めていたわけではありません。

気づいたら、そうなっていた。

そういう変化の方が、案外しっかりと根付いている気がします。

「青い鳥はいない」の本当の意味

この経験を経て、「青い鳥はいない」という言葉の意味が、
少し変わって見えるようになりました。

探しても見つからないものを指す言葉ではないのかもしれない。

すでにそこにあるものに、気づくこと」を促す言葉なのかもしれない、

と感じるようになりました。

より良い運動方法は、外にあるものではありませんでした。

すでに毎日使っていた階段に、ありました。

それに気づくまでに、少し時間がかかりました。

もし正しい方法を探し続けていたら、今もまだ探していたかもしれません。

まとめ:すでにある一段が、これからの習慣になる

副業も、投資も、運動も、続かなかった理由は同じでした。

探していた」ということです。

より良い方法があるはずだと信じて、情報を集め続けた

その間、行動は止まっていました。
情報は増えていたけれど、何も変わっていませんでした。

階段の登り降りだけが違いました。

探しようがなかった。
選択肢がなかった。
だから始めるしかなかった。

そして気づいたら、続いていました
身体に変化が出てきたのは、続いた後のことでした。

青い鳥はいない」という言葉は、諦めを促す言葉ではないと今は思っています。

外に探すのをやめて、すでにあるものを見てみる
という提案だったのかもしれません。

完璧な方法を待つ必要は、たぶんありません

今日、一段だけ登ってみることが、
意外と遠くまで連れて行ってくれることがあります。

おことわり

この記事は、私自身の体験から感じたことをまとめたものです。

すべての人に同じ方法が合うとは限りませんし、効率の良い方法を探すこと自体を否定するものでもありません。

ただ、少なくとも私の場合は、「探すこと」を少し手放したときに、ようやく続くものに出会えました。

もし何かひとつでも、ご自身の生活の中で試せそうなことがあれば、無理のない範囲で取り入れてみてください。

本記事で使用した画像はNapkin AIを利用しています。

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この記事を書いた人

“じみ” に “もくもく” と “すきなこと” を “継続する” ことが最近の楽しみです。

『人生を自由に楽しく』が目標です。

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