リベ大のYouTubeを、いつものように
ながら聴きしていたときのことです。
両学長のこの一言に、
階段を登る足が一瞬止まりました。
まとめ記事やAIの要約で流れてきたなら、
たぶん素通りしていた言葉です。
この記事は、その一言を
自分の11年に引きつけて考えた記録です。
エネルギーにも家計簿がある

40代の疲れは、
仕事の量と年齢のせい。
私も長く、そう思っていました。
でも、あの言葉を裏返すと、
別の景色が見えてきます。
使っている間は何かをしている
気分になれますが、
翌朝の自分には何も残っていません。
厄介なのは、
この支出にはレシートが残らないことです。
家計簿をつけていないお金と、
同じ消え方をします。
エネルギーは時間と同じで、
有限のリソースです。
どこに配分するかは、
投資のポートフォリオを組むのと
同じ発想になります。
縦軸に「自分のこと/他人のこと」、
横軸に「前向き/後ろ向き」を取ると、
使い道は4つの領域に分かれます。
能力の高い人は、このうち
「自分のこと×前向きなこと」の一角へ
静かに寄せている。
そういう話だと受け取りました。
時間とお金の配分については、
両学長の “投資が必要な理由” を、階段の登り降りで考える
で書いたことがあります。
今回はその、エネルギー版です。

合理的とは、冷たいことではない

「合理的」という言葉には、
少し冷たい響きがあります。
でも、ここでの合理性は
人を切り捨てることではありません。
コントロールできることに集中する、
という取捨選択の話です。
他人の評価は変えられません。
一方で、
能力の高い人は、
その線引きが早いのだと思います。
私の場合、心がざわついたときは
「これは自分で変えられることか」と
ひとつだけ問うようにしています。
それだけで、手放せる悩みが
思いのほか多いことに気づきます。
他人と比べることをやめる話は、
比べない強さを育てる自己調律メソッド
に書きました。
比較をやめて浮いたエネルギーを
どこへ移すか。
それが今回の主題です。

階段の登り降りは、最小単位の自己投資だった

振り返ると、11年続けてきた階段の登り降りは、
「自分のこと×前向きなこと」への
いちばん小さな投資でした。
誰の評価も要らず、誰とも競わず、
今日の自分の身体にだけエネルギーを置いてくる。
不思議なもので、
ここにエネルギーを置き続けていると、
愚痴や嫉妬に回す分が
自然と目減りしていきました。
枯渇したのではありません。
先に良い方へ使ってしまうから、
残らないのです。
嫌なことがあった日ほど、
階段の登り降りは効きます。
1段ごとに呼吸が深くなり、
頭の中で他人が占めていた面積が、
少しずつ自分の身体に戻ってくる。
降りる頃には、考える対象が
「あの人」から「明日の自分」に
入れ替わっています。
その体力の土台は、
毎日の階段がつくっています。
お金と違うのは、
良い置き場所に移したエネルギーが、
使うほど翌日の元手を増やしてくれることです。
身体を動かした日の方が、
夜の気分も、翌朝の頭も軽い。
複利に似た増え方をします。
両学長の話を聴きながら階段を降りていた頃の心の変化は、
貧困マインドが消えた朝
に書きました。
あの記事が「引き算」の話だとすれば、
今回は浮いたエネルギーをどこに足すか、という話です。

まとめ:エネルギーの行き先が、10年後の自分をつくる

まとめやAIの答えは効率的ですが、
どの言葉が自分に刺さるかは、
事前に予測できません。
喋りの流れと、そのとき考えていたことが、
偶然噛み合った瞬間にだけ、
言葉は自分のものになります。
だから私は今日も、
ながら聴きを続けています。
それだけのことを続けていたら、
身体と暮らしが静かに変わりました。
エネルギーの行き先を選ぶことは、
未来の自分への仕送りに似ています。
今日の小さな配分が、
10年後の自分を静かにつくっていくのだと思います。
日々の小さな記録は、noteのマガジンにも静かに綴っています。
おことわり
本記事は情報提供を目的としており、特定の効果・効能を保証するものではありません。
健康に関するご判断は、必ず医師・専門家にご相談ください。
本記事で使用した画像はNapkin AIを利用しています。

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