朝、階段の途中で、
ひとつの言葉が頭に浮かびました。
両学長のお金の動画を何年も見続けるうちに、
私のなかで自然と、こういう表現に整理されていった、
そんな言葉です。
最初は意味がよくわからなかったその感覚が、
10年続けてきた階段の登り降りの中で、
ふと腑に落ちたのです。
これは “性格” の話ではなく、
“状態” の話なのだと、
朝の階段が静かに教えてくれました。
たぶん、若い頃の私だったら、
この言葉を聞いてもピンとこなかった気がします。
今ようやくわかるのは、
階段がいつの間にか、
自分の状態を整えてくれていたから、なのかもしれません。
両学長の話を聞いていて、なぜこの言葉が浮かんだのか

両学長の動画では、
“貧乏マインド” と “お金持ちマインド” の
対比がよく語られます。
という観察です。
その話を何度も聞いているうちに、
私のなかで自然と、
“貧困マインドはうるさい” という
表現に整理されていきました。
うるさいといっても、
声を荒げているわけでも、
外で騒いでいるわけでもない。
損得・比較・反応で、
頭の中がいつも鳴っている。
そういう “心のうるささ” を、
両学長は静かに観察しているのだと、
ある朝の階段の途中で気づきました。
自分なりに整理してみると、
この “うるさい” という感覚には、
たぶん3つの層があります。
寝る前にもまだ、
損得計算が頭の中で鳴っている状態です。
3つとも、性格ではなく、
たぶん余裕のなさから来ています。
ここでひとつ確認しておきたいのは、
両学長が伝えているのは性格批判ではない、
ということです。
「貧乏な人は性格が悪い」ではなく、
「余裕のない人ほど、心が落ち着かなくなる」
という状態の観察に近いと感じます。
だから腑に落ちるのだと思います。
私自身、10年以上前のことを思い出して、
当時の自分のうるささに、
ようやく名前がついた気がしました。
余裕がなかった頃の、自分の行動を振り返る

10年以上前の私は、
今より体重が 13 kg 重く、
健康診断の数値もあちこちが赤かった頃です。
振り返ってみて、
当時の自分は確かに “うるさかった” と思います。
小さな損については、
家計簿アプリを毎日開いて、
1円単位の数字が合わないと気持ち悪かったのも、
今思えばずいぶんうるさかった気がします。
無料・割引については、
たぶんそうです。
お得を逃したくないという気持ちが、
休日の気力を少しずつ削っていきました。
正論については、
同僚や家族の選択に、つい意見を言いたくなりました。
言ったあとに少し気まずくなって、
その夜は寝つきが悪かったのを覚えています。
飲み会のあと、
誰がいくら払って、誰の取り分が多かったかが、
ずっと頭から離れない夜もありました。
性格が悪かったわけではない、
と今は思います。
というだけのことでした。
階段の登り降りを続けて、静かに変わったこと

10年続けてきた階段の登り降りの効果については、
これまでも何度か書いてきました。
でも、数値以上に
静かに変わったことが、
もうひとつあった気がします。
文句が減ったのは、
朝に階段を登り降りして自律神経が整ったあと、
些細なことに反応する余地が少なくなっていきました。
比較する時間が減ったのは、
他人と自分を並べる材料が目の前にない時間が、
日々 50〜60分 くらいある。
そのことが、
じわじわと効いた気がします。
待てるようになったのは、
階段が早く登っても遅く登っても、
焦って2段抜かしをしても、
結局息が上がるだけで、
ゴールに着くスピードはそんなに変わらないのです。
朝に階段を登り降りし終えて
降りてくる頃、いつの間にか、
頭の中で鳴っていた検索バーが消えていることに気づきます。
それらが、汗と一緒に、
少しずつ抜けていく感じがするのです。
人生の音量が、
いつの間にか、
静かに下がっていました。
お金・健康・時間は、同じ構造をしている

両学長の動画を続けて見ているうちに、
もうひとつ気づいたことがあります。
のだということです。
たとえば、
反動の大きさは、
努力の派手さに比例するように見えます。
だから “うるさい状態” に
戻ってしまうのです。
そう考えると、
日々の階段登り降りの地味さは、
たぶん反動が起きないギリギリの強度なのだと思います。
このあたりの感覚は、
以前 両学長の変態視点に学ぶ複利の哲学 でも書きました。

うるさくならないために、私がやめた3つのこと

ここからが、
いちばん地味で、いちばん効いた話です。
うるさくならないために、
私はいつの間にか
3つのことをやめていました。
反応しすぎる情報を、見るのをやめました。
見るたびに心拍が動くものから、
少しずつ距離を取りました。
通知をオフにしただけで、
朝起きたときの胸のあたりの軽さが、
明らかに変わりました。
得しそうで疲れる選択も、やめました。
ポイントが二重で貯まる組み合わせを30分調べる時間より、
階段を 10分 登り降りした方が、
人生の総量として得になる気がしたからです。
得は逃したかもしれません。
他人を変えようとすることも、やめました。
正論を言って正しさを証明しても、
誰も静かにはなりません。
これは10年かけて、
ようやく身体で覚えたことのひとつです。
やめたことを並べてみて、
逆にひとつわかったことがあります。
得ようとして手に入らなかった “余裕” が、
やめることで自然とこちらに戻ってきていました。
振り返れば、
頑張って増やすより、
そっと減らす方が効いた気がします。
そう気づいたとき、
ようやく “心の音量” を
自分で下げられるようになりました。
このあたりの感覚は、
階段で欲しいものがなくなった:身体が静かになった朝
という記事にも近いところがあります。

心の音量を下げたあと、空いた場所に何を置くか。
能力の高い人はどこにエネルギーを使うのか
で「配分」の視点から続きを書いています。

まとめ:今日も階段を登り降りするだけで、十分だった

10年前の私は、
損をしないことに必死でした。
今の私は、
損得をあまり数えなくなりました。
性格が良くなったわけではありません。
私のなかで形になった、
“貧困マインドはうるさい” という言葉は、
性格を直すための呪文ではなく、
状態を観察するための窓でした。
心の音量を下げる方法は、
声を抑えることでも
我慢することでもなく、
そう振り返って思います。
もし両学長の動画に出会わなかったら、
自分が少しずつ静かになっていることに、
たぶん気づけなかったと思います。
言葉はいつも状態のあとからやってきて、
“こういう変化だったんですね” と、
こちらに教えてくれる窓のような働きを
してくれるものなのかもしれません。
このあたりは
サイレント・マイノリティーという生き方
でも触れました。

おことわり
本記事は情報提供を目的としており、特定の効果・効能を保証するものではありません。
健康に関するご判断は、必ず医師・専門家にご相談ください。
本記事で使用した画像はNapkin AIを利用しています。

コメント