いつもの階段の上で考えたこと
朝、いつもの階段を登り降りするようになってから、少し時間が経ちました。
最初は息が切れていたのに、今ではほとんど無意識のように脚が動きます。
それでもふと、「今日もまた同じ階段を登り降りしているな」と思うことがあります。
私が副業を始めたのは、そんな朝の途中でした。
特別な覚悟があったわけではなく、ただ「このままでいいのかな」と小さく思ったのがきっかけです。
あのときの気持ちは、階段の途中で立ち止まる感覚に近かったように思います。
見上げれば、まだいくつもの段が続いている。
下を見れば、似たような景色が延々と並んでいる。
どちらを向いても終わりが見えないけれど、動かなければ風も当たらない。
そんな感覚でした。
副業を始めてから、私の日常は少しずつ変わっていきました。
朝の通勤中にSNSを確認したり、夜にパソコンを開いたり。
「何かを積み重ねている」という手応えを感じる一方で、いつも心のどこかに「怖さ」がありました。
うまくいかなかったらどうしよう。
誰かに知られたら、失敗したら、時間を無駄にしてしまったら ─。
そんな思いが、静かにまとわりついて離れませんでした。
その怖さは、やがて「日常の中にある非日常」として定着していきました。
まるで階段を登り降りしながら、ふと足元を見て高さを意識してしまう瞬間のようです。
それでも、登り降りすることをやめるわけにはいきませんでした。
登り降りすることでしか見えない景色があると、いつのまにか知ってしまったからです。
“副業” が急に非日常に変わる瞬間

気づかないうちに訪れる「怖さ」
副業を始めたころは、正直なところ楽しかったです。
新しい世界に足を踏み入れた高揚感があり、休日や夜の時間を使って作業をすることにもワクワクしていました。
SNSに発信したり、小さな成果を得たりするたびに、「自分にもできるかもしれない」と思っていました。
けれど、ある日を境に、少しずつその気持ちに陰りが見えはじめました。
会社の同僚が近くでスマートフォンを覗き込み、なんとなく焦ったことがあります。
「もしかして自分の副業アカウントを見られたかもしれない」と思うと、心臓が早くなりました。
SNSに投稿するボタンを押す指が、急に重く感じられたのです。
怖いと感じた瞬間、私は初めて「副業が日常から離れた」と思いました。
たった数日前まで楽しんでいた作業が、急に特別なこと、少し危険なことのように思えてきました。
でもそれは、失敗や批判の恐怖というよりも、“自分の中で日常と非日常の境目が生まれた瞬間” でした。
階段を踏み外したような瞬間
その感覚は、まるで階段を一段踏み外すときのようでした。
上を目指していたつもりが、足元の段差を見誤ってバランスを崩す。
焦って立て直そうとしても、少しの間、体の重心が戻らない。
副業の怖さも、それに似ているように思います。
時間の管理がうまくいかない日が続いたり、期待した成果が出なかったり。
「自分には向いていないのかもしれない」と考えたこともありました。
それでも、完全にやめる勇気も出ませんでした。
やめてしまえば楽になるのに、なぜか「もう一度だけ続けてみよう」と思ってしまう。
その気持ちは、もしかすると “恐怖” の中に含まれた希望だったのかもしれません。
怖さの正体は、失敗の予感ではなく、「この先を見たい」という小さな期待の裏返し。
踏み外した瞬間にこそ、初めて自分の脚で立っていることを意識するのだと思います。
階段を登り降りするとき、私たちは普段その段差を意識しません。
けれど、少しつまずいたときに初めて、「あ、今ここを歩いているんだ」と気づくのです。
副業の怖さも同じで、怖さを感じるということは、自分が確かに一歩を踏み出している証拠なのだと思います。
怖さの中にある、静かな規則性

同じことを繰り返すと安心が生まれる
怖いと感じながらも、副業を続けていると、あるときから不思議な感覚に気づきました。
それは、「怖さの波に、ある一定のリズムがある」ということです。
たとえば週の初めに落ち込みやすく、週末に少し持ち直す。
作業を再開して三日目くらいで「やっぱりやりたくない」と思う。
でも一週間後には「ここまで続いたなら、もう少しやろうかな」と感じる。
その繰り返しの中で、恐怖や不安は少しずつ、輪郭を失っていきました。
同じ作業を繰り返すうちに、手の動きが慣れてくるように、
怖さにも “慣れ” があるのだと思います。
完全に消えるわけではありませんが、扱い方が少しずつわかってくるのです。
まるで朝の階段登り降りのように、「登り降りする」という動作そのものが習慣化していく。
そのリズムが、気づかないうちに安心感をつくり出していました。
習慣が怖さを包み込むプロセス
私自身の中で、怖さが和らいでいった流れを思い返すと、三つの段階がありました。
未知のことを前にすると、どうしても身構えてしまいます。
失敗したらどうしよう、時間を無駄にしたらどうしよう。
けれど、その段階ではまだ何も始まっていません。
実際の怖さではなく、“想像の中の不安” が主な正体でした。
作業が単調になったり、成果が出ない時期が訪れます。
ここで「意味があるのだろうか」と疑う瞬間が最も苦しい。
でも、この停滞期こそ、怖さを “扱えるようになるための練習期間” でもあります。
ある日、以前なら不安を感じていた作業が、自然にできていることに気づきます。
怖さが完全に消えたわけではありません。
ただ、それを自分の一部として受け入れられるようになっているのです。
この三つの段階は、どれも同じ階段の中にあります。
登りも下りも含めて、すべて “歩くこと” の延長です。
副業の怖さも、消すべきものではなく、歩きながら少しずつ馴染ませていくものなのだと思います。
怖さの正体が “規則的な波” だと気づくと、少しだけ心が軽くなりました。
それは、自分が思っていたよりも不安定ではなかったという発見です。
怖さを完全に乗り越えることよりも、その波に身体を合わせることのほうが、
結果的に長く続けられる方法だと感じています。
“続ける” と “怖くなくなる” のあいだにある時間

成果よりも「できなかった日の扱い方」
副業を続けていると、必ず「できなかった日」がやってきます。
疲れてパソコンを開けなかった日、やる気が出ないまま過ぎた週末。
以前の私は、そのたびに自分を責めていました。
「今日はサボってしまった」「また戻るのが大変になる」と思うたび、怖さが増していったのです。
けれど、あるとき気づきました。
それは “止まっていた” のではなく、“呼吸をしていた” のだということに。
定期的に階段を登り降りしていると、どうしても途中で立ち止まる瞬間があります。
息を整えるために脚を止めるのは、決して怠けではありません。
むしろ、その休息が次の一歩を確かなものにしてくれます。
副業も同じです。
できなかった日を「終わり」と見なすか、「間(ま)」として受け入れるか。
その捉え方の違いが、継続のしやすさを大きく左右するのだと思います。
怖さは、止まっている時間を否定することで生まれる。
でも、「今日は登らなかったけれど、明日はまた一段登ろう」と思えたとき、
怖さはほんの少しやわらいでいくのです。
「半年経って、やっと怖さが薄れた」実感
半年ほど経ったころ、ふと「あの頃ほど怖くない」と感じました。
初めのうちは、毎日が緊張の連続でした。
でも今は、何か失敗しても「まぁ、そういう日もある」と思えるようになりました。
それは、成功体験を積み重ねたからではなく、「失敗に慣れた」からだと思います。
怖さは、消えるのではなく “馴染む” のです。
新しいことを始めるたびに、怖さは必ず現れます。
しかし、続けるうちにその輪郭が少しずつ柔らかくなり、
やがて日常の中に溶け込んでいきます。
この変化には、時間が必要です。
一晩では消えません。
階段を登り降りするように、少しずつ脚の筋肉が強くなっていくように、
“怖さを受け止める力” も時間とともに育っていきます。
だからこそ、焦らずに続けることが大切だと思います。
怖さが完全になくならなくてもいい。
むしろ、少し怖いくらいの方が、自分が前に進んでいる証拠なのかもしれません。
その感覚を抱えながら過ごす時間こそが、
「続ける」と「怖くなくなる」のあいだにある、静かで豊かな時間なのです。
怖さが薄れるとき、それは勇気が大きくなったからではなく、
“生活の中に怖さの居場所ができた” からだと感じます。
朝の階段を登り降りするように、毎日の小さな動作の中に、
かつての非日常がゆっくりと馴染んでいく。
気づけば、副業もまた「いつものこと」になっていました。
“日常の延長線に副業がある” という視点

「分けない」ことの強さ
副業を続けるうちに、ある日ふと気づきました。
「これはもう特別なことではなくなっている」と。
以前は、本業と副業を明確に分け、時間を切り替えるようにしていました。
しかし今は、生活の中に自然と溶け込んでいます。
それらはもはや「副業の時間」ではなく、
“生活の中の動作のひとつ” になっていました。
最初の頃は、「副業も本業も両立しなければ」と気を張っていました。
けれど、本業も副業も「自分という同じ人間の営み」である以上、
切り離すことはできません。
むしろ、無理に分けようとするほど、心が疲れてしまうのです。
分けずに考えると、不思議と気持ちが軽くなりました。
どちらも日常の延長線上にあると捉えることで、
「今日はどちらを進めよう」と柔軟に選べるようになったのです。
それは、登り降りする階段を変えるのではなく、
同じ階段の別の段に立つ感覚に近いのかもしれません。
階段を登るだけでなく、降りる時間も必要
副業を続けていると、どうしても「上り続けなければ」と思いがちです。
しかし、階段には登りだけでなく、下りもあります。
降りる時間は、前に進むためのリズムを取り戻す時間です。
たとえば、何もせずに過ごす休日。
作業を一切開かず、ぼんやりと散歩をする時間。
それもまた、副業を支える大切な “階段の一部” だと思います。
登り続けることだけが努力ではありません。
時には降りて、全体を見渡すことで、
「自分がどこまで来たのか」を実感できるのです。
Persistent-wins の思想にあるように、
“続ける” とは、“止まらずに揺らぎながら進むこと” です。
怖さを抱えたまま歩き続けるのも、
安心を得て立ち止まるのも、どちらも日常の一部。
それらを切り離さずに受け止めることが、
副業を「特別な挑戦」ではなく「生活の自然な流れ」へと変えてくれるのだと思います。
まとめ:今日もまた階段を登り降りする

朝の光が少しだけやわらかくなった気がします。
同じ時間、同じ道、同じ階段。
けれど、ほんの少しだけ昨日と違って見える瞬間があります。
それは、続けてきた日々の中で、
自分の足音が小さく、確かに変わってきた証拠なのかもしれません。
副業を始めたころ、私はずっと怖かったです。
失敗すること、人に知られること、時間を無駄にすること。
どれも現実的な理由に見えましたが、今思えば、
一番怖かったのは「変わっていく自分」だったのだと思います。
変化は、いつだって不安を連れてきます。
それでも少しずつ続けていくうちに、
その不安は形を変え、日常の中に溶け込んでいきました。
怖さが完全に消えたわけではありません。
でも、その存在を受け入れられるようになった今、
それはむしろ “日常の手触り” の一部になっています。
階段を登り降りするたびに、私は思います。
一段登ったからといって、景色が劇的に変わるわけではありません。
それだけで、十分なのだと思います。
副業も同じです。
目に見える成果がなくても、
続けているだけで確かに何かが変わっています。
怖さを抱えたまま進むことが、
いつのまにか「安心して歩く力」に変わっていく。
それは大きな飛躍ではなく、静かな変化です。
今日もまた、私は階段を登り降りします。
昨日よりも軽やかに。
明日もきっと同じ階段を登り降りするでしょう。
その繰り返しの中にこそ、
自分のリズムがあり、続ける理由があるのだと思います。
おことわり
本記事は筆者自身の経験と感じたことをもとに執筆しています。
副業の方法や働き方を推奨・助言するものではありません。
状況や考え方は人それぞれ異なりますので、ご自身のペースや環境に合わせてお読みください。
本記事で使用した画像はNapkin AIを利用しています。
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