ある朝、階段の登り降りの途中で、「最期」という言葉が自然に現れました。
ただ、気づいたらそこにいた、という感覚でした。
その朝に起きたことを、そのまま書き留めています。
何かを勧めるためでも、結論を出すためでもありません。
階段の登り降りの朝に感じた “静かな没入”

いつもと同じ朝でした。
特別な準備も、気合いもありません。
登り始めると、最初の数分はいつも通りです。
ただ、ある地点を過ぎると、
意識の質が少し変わっていきます。
頭の中の言葉が減っていきます。
そういうものが、静かに後退していく感じがあります。
「集中しよう」としているわけではありません。
むしろ、集中しようとする感覚そのものが、前に出てこなくなります。
それなのに、頭の中だけが静かになっていきます。
最初は、うまく言葉にできませんでした。
雑念が減るというより、
評価や意味づけがいなくなる、という表現が一番近いかもしれません。
ふと浮かんだ「この先、どこへ向かうのか」という問い

その朝も、同じように意識が静かになっていくなかで、
ふと何かが浮かびました。
仕事の話ではありませんでした。
来週の予定でも、今年の目標でもない。
もっと長い、ずっと先の話でした。
答えは出ませんでした。
それどころか、問いは自然と、
もっと奥へ進んでいきました。
そしていつか —。
最期のことが、頭をよぎりました。
おかしなことに、怖くはありませんでした。
「確認」という言葉が、一番近いかもしれません。
それは、静かな事実として、
ただそこにありました。
意識が澄んでいたからこそ、
その問いを落ち着いて手に取れたのかもしれません。
平静な朝だったからこそ、恐怖ではなく、
確認として受け取れたのかもしれません。
そう思いながら、
また一段、踏み出しました。
積み上げてきたものは、どこへ行くのか

毎日、何かを積み上げています。
目に見えるものも、見えないものも含めて、
日々積み重ねながら生きています。
でも、その朝、ふと思いました。
- 積み上げたものは、最終的にどこへ行くのか、と。
誰かに受け継がれるものもあるでしょう。
影響を受けた人の記憶の中に残るものもあるかもしれません。
ただ、そのほとんどは、
静かに消えていきます。
どんなに続けてきたことも、
どんなに丁寧に積み上げてきたものも、
100年後に残っているかどうかは、誰にもわかりません。
正直に言うと、そうは感じませんでした。
むしろ、その事実の中に、
妙な清々しさのようなものがあった気がします。
積み上げることに意味があるとしたら、それは「残すため」ではなく、
「積み上げているその瞬間そのものに、すでに何かがある」からなのかもしれません。
そういう感覚が、
階段の途中で、ふと訪れました。
人は最終的に何を残すのか

「残すもの」という言葉を、
私たちはどこか重く捉えすぎているかもしれません。
そうした「形になるもの」だけが、
残すものの定義ではないかもしれません。
それらはどこにも記録されません。
遺言書にも書けません。
でも、受け取った人の中で、何かが変わります。
その変化は、また別の誰かへと、
静かに伝わっていきます。
それが本当の意味での「残るもの」に近いのかもしれない、と感じました。
とすれば、こうして
どこかに届いているのかもしれません。
ただ、誠実に続けていれば、
それで十分なのかもしれません。
そう思えたとき、
歩みが少し軽くなった気がしました。
まとめ:それでも、今日もまた登る理由

最上段に着きました。
最期のことを考えた朝も、日常はそのまま続きます。
不思議なことに、最期を考えた朝の方が、
今日という一日を丁寧に感じられる気がしました。
終わりを意識することは、
死への準備ではないのかもしれません。
今への解像度が、少し上がるような感覚に近いです。
積み上げることに意味がある。
でも、最後は還る。
その循環のなかに、
私たちは生きているのかもしれません。
階段の登り降りを始めた頃は、
ただ身体を動かすための時間だと思っていました。
でも、いつからか、
この時間は少し違う意味を持ちはじめています。
それを、静かに確認するような時間になってきています。
最期のことを考えたからといって、
何かが変わるわけではありません。
ただ、その問いを手に取ったことで、
今日一日の重さが、少し変わった気がしました。
- あなたは、最期のことを考えたことがあるでしょうか。
- それはどんな場所で、どんな形で、心をよぎったでしょうか。
今すぐ答えが出なくてもいいと思います。
ただ、その問いを、
一度だけ静かに手に取ってみてください。
それは、きっと怖くありません。
この問いをもう少し深く追いかけた記事を、次に書いています。
「所有しない生き方」と「最期のかたち」について、
もう一段、考えてみました。
おことわり
本記事は、日常的な階段の登り降りのなかで、筆者に自然と訪れた思考の記録です。
何かを推奨したり、特定の価値観を勧めたりする意図はありません。
感じ方や考え方には個人差がありますので、ご自身の感覚を大切にしながらお読みください。
本記事で使用した画像はNapkin AIを利用しています。
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