リベ大の動画を見ていると、
つい思ってしまうことがあります。
次々と成功例が流れてきて、
そのたびに「で、自分は何で稼ぐんだ」と問い直す。
取り組んでいるのは、2年弱のブログだけ。
そう思うと、少しだけ心細くなります。
でも最近、その問いの立て方そのものを、
一度疑ってみようと思うようになりました。
「稼げる副業」を探している、と思っていた

正解の副業が、どこかにある。
そんな気がしてくるのは、
たぶん成功例ばかりが目に入るからです。
けれど、立ち止まって考えてみると、
私はそもそもお金に困っているわけではありません。
なのに、ブログの収益が伸びないと、
なぜかモヤモヤする。
これは矛盾しているようで、
すごく人間らしい現象だと思うのです。
よく言われます。
だとすれば答えは、
外から探してくるものではなく、
すでに自分の手の中にあるのかもしれません。
モヤモヤの正体は、物差しを失ったこと

たどり着いたのは、
これは 物差しの問題 だ、という見立てでした。
「稼ぐ」が目的でなくなった人は、
自分の活動を測る物差しを失います。
ブログの収益額は、
数少ない “外から見える成果” でした。
だからそこが動かないと、
「自分のやっていることに意味があるのか」
という不安に、すり替わってしまう。
だから、稼ぐ必要のない人でも、
稼げないと落ち着かないのだと思います。
「使う力」の戸惑いも、同じ根っこ
妻と出かけるとき、
つつましく済ませる旅で満たされるのか、
それとも思いきって贅沢な一泊を選ぶのが良いのか。
いつも、少しだけ迷います。
あれは金額の大小の問題ではなく、
「自分は何に価値を感じる人間なのか」が
まだ言葉になりきっていないから迷うのだと、
最近になって気づきました。
つつましい旅も、贅沢な一泊も、
両方やってみればいいのだと思います。
やってみて初めて、
「ああ、自分はこちらで満たされるのだ」とわかる。
使う力は、頭で考える力ではなく、
試して身につける力なのですから。
階段の登り降りは、1円も生まない

ここで、ひとつ思い当たることがあります。
私はもう11年、
階段の登り降りを続けています。
それでも、やめようと思ったことはありません。
収益という物差しを、
最初から一度も当てたことがないからです。
続けてきて、知ったことがあります。
同じ習慣を始めた人の多くは、
半年から1年のうちにやめていく。
だから「続いている」というだけで、
実はかなり希少な状態なのだと思います。
盆栽に似ているな、と思います。
それでも人が育てるのは、
リターンのためではなく、
形を整えていく時間そのものが
価値だからです。
だとすれば、ブログも同じように
育てていいのかもしれない。
収益という物差しを、
そっと脇に置いてみる。
2年弱続いていること自体が、
もうひとつの成果なのだと、
思えてきます。
2つの鉢は、競争相手ではなく相棒だった

私は今、2つのブログを育てています。
不思議なもので、
この2つは競い合っていません。
収益への焦りを片方に預けられるから、
こちらのサイトは、
書きたいことだけを書いていられる。
気づいたことが、もうひとつあります。
私は自分を “静かに熱い” 人間だと思っています。
この2つのサイトは、
ちょうどそれを身体に分けたような形をしている。
どちらか片方だけだと、
ただ静かなだけか、
ただ稼ぎたいだけになってしまう。
2つの鉢を別々に育てているから、
私は “静かに熱い” でいられるのだと思います。
2つの鉢は競争相手ではなく、
お互いの自由を守り合う 相棒 だったのです。
力まずに続けている、ということ

振り返ってみると、
今の私は、力んでいません。
稼がなきゃ、結果を出さなきゃ、
という焦りで漕いでいるのではなく、
ただ好きだから続けている。
これは見た目より、
ずっと難しいことだと思います。
多くの人は逆で、
力みすぎて燃え尽きるか、
力が入らずに始められないか、
そのどちらかになりがちだからです。
唯一足すとすれば、
収益が伸びても伸びなくても
盆栽として続ける、と腹を決めること。
そう決めた瞬間に、
モヤモヤは、すっと消える気がします。
リベ大のもうひとつの言葉
「成果が出ていないのに続けてはダメだ」を受け止めた続編も書きました。
「続けることと、改善すること|11年同じ階段の登り降りをしながら考えた」

まとめ:続けられること自体が、もう答えだった

「どんな副業で稼げるのか」という問いの答えは、
外からやってくるものではなく、
すでに自分の手の中にあるのかもしれません。
皮肉なものです。
収益という物差しを手放したブログのほうが、
力まずに長く続いて、
結果として実ることも、
多いのだと思います。
その問いに「これは続ける」と答えられたなら、
もう物差しは、自分の中にあります。
明日も私は、いつものように
階段を登り降りします。
1円も生まない不恰好な盆栽を、
静かに育てていくように。
日々の小さな記録は、noteのマガジンにも静かに綴っています。
おことわり
本記事は情報提供を目的としており、特定の効果・効能を保証するものではありません。
健康に関するご判断は、必ず医師・専門家にご相談ください。
本記事で使用した画像はNapkin AIを利用しています。

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