続けることと、改善すること:11年同じ階段の登り降りをしながら考えた

夜明けの静かな階段を登る人の後ろ姿。11年続けてきた階段の登り降りを今日も続けるイメージ
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リベ大のYouTubeを観ていて、手が止まった言葉があります。

「成果が出ていないのに、同じことをずっと続けていてはダメだ。
 どんな小さな修正でもいいから、PDCAを回して、
 少しでも前より良くなるように改善し続けなさい」

そんな趣旨の話でした。
もっともだ、と思いました。

そして同時に、少しだけ胸がざわつきました。
私は11年、日々同じ階段を登り降りしています。

「同じことをずっと続けている」の、
見本のような毎日です。

これは、ダメなのだろうか。
今日はそのことを、静かに考えてみます。

目次

耳の痛い言葉ほど、静かに考えてみる

階段の下で立ち止まり、耳の痛い言葉を静かに受け止めて考える人のイメージ

継続は力なり。
続けてさえいれば、いつか必ず報われる。

私自身、長くこの言葉の近くで生きてきました。

けれどリベ大の指摘は、
この “続けてさえいれば” の急所を突いています。

続けること自体が目的になると、
成果が出ているかどうかを、だんだん見なくなる。

検証のない継続は、進んでいるようでいて、
同じ場所で足踏みをしているだけかもしれない。

副業でも、勉強でも、運動でも、
思い当たる人は多いはずです。

つまりあの言葉は、継続の否定ではなく、
検証のない継続への注意喚起なのだと思います。

だからこそ、耳が痛い。

そして、反論したくなる言葉ほど、
一度静かに自分に当ててみる価値があります。

11年 “同じこと” を続けてきた、はずだった

11年の階段の登り降りで変わった3つ(登り方9段階・時間帯は朝へ・下りはロングブレス)を整理した図解

そこで、自分の11年を振り返ってみました。
すると、意外なことに気づきます。

同じことを続けてきたつもりだったのに、
思い出せるだけでも、いくつも変わっていたのです。

登り方は、いつのまにか9段階になっていた

腿(もも)をどこまで上げるか。
どのくらいのピッチで登るか。

この2つの組み合わせで、私は自分の中に
9段階の負荷設定を持っています。

誰かに教わったわけではありません。

その日の体調や脚の重さに合わせて選んでいるうちに、
目盛りが少しずつ増えていきました。

今日は3段目でいい。
今日は7段目までいける。

そんな小さな選択を、毎回しています。

時間帯は、昼休みから朝へ

長いあいだ、登り降りの時間は職場の昼休みでした。

それが2025年4月頃から、
朝いちばんの習慣に変わりました。

朝の身体で登る階段は、昼とはまるで別物です。
この変化は「朝の階段が脳を目覚めさせる?認知症予防と睡眠改善」にも書きました。

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降りるときは、ロングブレスを

2024年の秋頃からは、降りる時間に
ロングブレスを取り入れています。

きっかけは、
「降りる間、上半身は暇をしているのではないか」という、
ふとした思いつきでした。

登りは脚、
下りは呼吸。

同じ階段の往復に、役割がひとつ増えました。

どれも「改善するぞ」と気負って
変えたものは、ひとつもありません。

続けているうちに、
身体のほうが勝手に直していった。

そう言うほうが、実感に近い気がします。

11年 “同じこと” を続けてきたつもりだった。

でも実際は、登り方も、時間帯も、呼吸も、
少しずつ変わり続けていた。

分かれ目は “成果が出ているか” だった

成果が出ているかどうかで「淡々と続ける」「やり方か期待を見直す」に分かれる判断フローの図解

では、リベ大の言葉と私の11年は、
矛盾するのでしょうか。

整理してみると、分かれ目は
シンプルなところにありました。

階段の登り降りを続けた11年で、
体重は 13 kg 減り、脂肪肝はほぼ消え、
健康診断の数値は40代の今がいちばん落ち着いています。

つまり私にとって階段は、
成果が出ている習慣です。

成果が出ているものは、同じことを淡々と続けていい。
むしろ、下手に大きく変えないほうがいい。

一方で、成果が出ていないものについては、
リベ大の言うとおりだと思います。

続け方を変えるか。
それとも “何のために続けるのか” という期待のほうを見直して、
静かに置いておくか。

私にも後者の経験があります。
ブログの収益という物差しを手放した話は、
以前「1円も生まない階段の登り降りを11年。稼ぐ以外の物差しを盆栽から教わった話」に書きました。

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数字と向き合った末に、やり方ではなく
物差しのほうを変えた。

あれも、私なりの “改善” だったのだと、今なら思います。

続けることの中に、改善は棲んでいる

使い込まれた石段に一滴の水が落ちる瞬間。続けることの中で静かに進む小さな改善のイメージ

最後にもうひとつ、気づいたことがあります。

「続ける」と「改善する」は、
対立する言葉ではないらしい、

ということです。

外から見れば、11年間はただの反復です。

けれど内側では、
小さな修正が絶えず起きていました。

しかもその多くは、意志の力ではなく、
身体の感触が起こした修正でした。

PDCAという言葉を借りるなら、
長く続いている習慣の中では、それが
呼吸のように静かに回っています。

計画表も、数値目標もありません。
検証データは、昨日の身体が返してくる感触だけ。

それでも、確かに回っている。

水滴が石を穿つように続ける話(「10年以上の習慣に水滴穿石が名前をくれた」)や、
毎日を小さな研究として続ける話(「上皇さまのハゼ研究に学ぶ「生涯研究者」という生き方」)を以前書きましたが、
根は同じところにあるようです。

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本当に続いているものは、同じことのままではいられない。

続くこと、変わることは、
ひとつの営みの表と裏なのだと思います。


近道が手に入る時代に続けることの意味は、
痩せる薬の時代に、階段の登り降りを11年続けている理由にも書いています。

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この記事の2年後、変わったものを並べたら、変わらないものが残ったという続きのような話も書きました。

変わり続けるのは手段で、
変わらないのは芯。

あわせてどうぞ。

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まとめ:続けるとは、ゆっくり改善し続けることだった

朝の光に向かって階段を登る人の後ろ姿。今日とは少しだけ違う一段を登り続けるイメージ

リベ大の言葉に、胸がざわついた日。

11年を振り返ってみて、静かに腑に落ちました。

成果が出ているなら、
堂々と同じことを続けていい。

成果が出ていないなら、
やり方か、期待のほうを見直す。

そして、本当に続いているものの中では、
気づかないほど小さな改善が、すでに回っている。

次回も私は、同じ階段を登り降りします。

同じように見えて、今日とは少しだけ違う1段を。


日々の小さな記録は、noteのマガジンにも静かに綴っています。

ひのとみのいしころ|静かに熱い40代の記録

おことわり

本記事は情報提供を目的としており、特定の効果・効能を保証するものではありません。
健康に関するご判断は、必ず医師・専門家にご相談ください。

本記事で使用した画像はNapkin AIを利用しています。

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