階段の登り降り11年は「統計学的に異常値」だった:言うのをやめて、跡だけ残すという続け方

  • URLをコピーしました!

先日、ある番組を観ました。
警視庁で、防犯カメラやデータから
事件を分析する人の回です。

分析の大切さを訴えても、
耳を傾ける人はいなかったそうです。

だから、言うのをやめた。
黙って、ひたすら続けた。
孤独は、嫌いではなかった、

と。

その言葉に、手が止まりました。

私には、十数年という長さはありません。

けれど、この夏、
同じ形の「やめた日」がありました。

階段の登り降り11年と並べて、
その日のことを書いてみます。

目次

言うのをやめた日

机の端に静かに置かれたノートパソコンと朝の光。言うのをやめて、使える状態のまま置いておいた2ヶ月を表すイメージ

今年の4月から、職場で使う小さな道具を
いくつか作ってきました。

シフト表を組むもの。
休みの希望を集めるもの。

上司や同僚の意見を聞きながら、
何度も作り直しました。

部署の中で使う分には、
話は早く進みました。

夏に、もう少し大きな道具を提案しました。
部署の外、別の部門との調整が要るものです。

ここで、話が止まりました。

何度か上司に働きかけました。

進まない。

理由は、相手が悪いわけではありません。

私の道具は、相手の仕事の中では
たくさんある案件のひとつに過ぎないからです。

ある日、こちらから話をするのをやめました。

やめた理由は、番組の人と同じです。

言っても、がっかりするのは自分のほうでした。

言わなくても、道具はそこに置いてあります。

やめてからやったことは、ひとつだけです。

いつ声がかかっても使える状態に、保っておく。

細かい使い勝手を直し、
説明の文章を短くし、
自分では毎日使い続けました。

説得の代わりに、完成度を上げる。

それしか、できることがなかったとも言えます。

2ヶ月ほど経って、向こう側が動きました。
先月、別の部門との調整を通ったと聞きました。

いまは何人かに使ってもらい、
判定を待っているところです。

私が黙ってからのほうが、話は進みました。

偶然かもしれません。

ただ、黙っていた2ヶ月の間、
道具は少しずつ良くなっていました。

誰にも頼まれていない11年

誰もいない階段の踊り場に差す朝の光。誰にも頼まれず11年続けた階段の登り降りを表すイメージ

職場の道具は、まだ頼まれた形になっていません。

階段の登り降りに至っては、
11年、誰にも頼まれていません。

評価もありません。
報告する相手もいません。

それでも、続いています。

番組の人は、自分の歩みを
「統計学的に見ると完全に異常値」と
表現していました。

私の階段登り降り朝活も、たぶん同じ側にいます。

運動を始めた人の多くは、
数ヶ月で静かにやめていく、とよく言われます。

正確な割合は知りません。

ただ、11年続けている人に
身近で出会ったことは、まだありません。

階段を登り降りするという行為そのものは、
1ミリも特別ではありません。

誰でも今日からできますし、
道具も要りません。

それが11年分積み上がった瞬間にだけ、
急に、誰にも真似できないものに変わります。

地味さと、異様さの同居。

続けることの価値は、
「立派だから」ではなく、
「普通ではないから」生まれているのだと思います。

このブログの看板は「静かに熱い」です。

表面は静かなので、遠目には
何も起きていないように見えます。

近づいて年数を見た人だけが、
少し驚く。

承認を取りに行かなくても止まらない構造については、
サイレント・マイノリティーという生き方に書きました。

合わせて読みたい

11年の中身が少しずつ変わっていたことは、
続けることと、改善することに書いています。

合わせて読みたい

価値は後から、向こうから来る

続ける本人と見ていた側の関係図。続ける価値は本人の側では生まれず、見ていた側が後から持ってくる構造を表す図解

番組で、もうひとつ心に残った場面があります。

長く誰にも相手にされなかった人のところへ、
ある日、上司が仕事を持ってきた。

「持ってきてくれたのだから、割って返さないといけない」
「陰ながら見てくれていたのかな」

この場面には、構造があると思います。

続けることの価値は、
続けている本人の側では発生しません。

見ていた側が、後になってから、
向こうから持ってくるものです。

毎日やっている本人には、
今日の1回は今日の1回でしかない。

「あの人はずっとやっている」と
気づくのは、いつも他人で、
しかも、だいぶ後になってからです。

職場の道具も、動いたのは
私が黙ってからでした。

誰かが、どこかで、
話を先へ運んでくれていたのだと思います。

もちろん、番組の人は十数年、
私は2ヶ月です。

重ねているのは年数ではなく、構造のほうです。

年数の側は、階段が担っています。

だから、待ち方があります。

催促しない。
代わりに、声がかかったときに、
すぐ答えられる形で待つ。

番組の人は、次の依頼には
もっと美しく答えられるように、と
腕を磨いていました。

私の場合は、使ってもらっている人から、
意見が返ってきたときが、その番です。

そこで、2ヶ月分の手入れを返す。

続ける意味を、いつも測っている数字ではなく、
「続けなかった自分」の側に置いた話は、
数字が止まった後に続ける意味に書きました。

合わせて読みたい

比べる相手が見えないのも、
価値が後から来るのも、同じ理由だと思います。

荒野に跡を残す

夜明けの荒野に一筋だけ続く足跡。道のないところを歩き、記録という跡を残すことを表すイメージ

番組の人が支えにしていたのは、
アメリカの思想家エマソンのものとして
伝わる言葉でした。

道のあるところを行くな。
道のないところを行って、跡を残せ。
Do not go where the path may lead, go instead where there is no path and leave a trail.

私はこの言葉を、
少し自分の寸法に合わせて受け取りました。

私が残せる跡は、記録です。

朝活の階段を320回数えた記録。
健診の数字を20年分並べた記録。
そして、このブログそのものです。

思えば、このブログは最初から、
「言うのをやめた場所」でした。

階段を人に勧めたことは、ほとんどありません。

勧めても、続ける人はいなかったからです。

だから勧めるのをやめて、
代わりに、やって見せることにしました。

記録を置いておいて、
拾いたい人が拾えばいい。

番組の「孤独が嫌いではなかった」にも、
うなずいていました。

私は、大勢の中で話すのが得意ではありません。

文章で、ひとりに向けて書くほうが、
ずっと自分に合っています。

荒野を歩いている自覚はあります。

ただ、歩きながら跡を残していれば、
後ろから誰か来たときに、道になります。

変わったものを並べて、
変わらないものだけが残った話は、
階段11年とブログ2年に書きました。

合わせて読みたい

残ったものの中に、たぶん
この「跡を残す」も入っています。

まとめ:言わない代わりに、置いておく

階段を登る人の後ろ姿と、踊り場に置かれた小さなノート。言わない代わりに記録を置いておく、という締めのイメージ

言うのをやめることは、
諦めることとは違いました。

説得をやめて、手入れに回す。
催促をやめて、答えられる形で待つ。
勧めるのをやめて、記録を置く。

やめた分だけ、手が空きます。

その手で、
道具を磨き、
階段を登り降りし、
この文章を書いています。

職場の道具の判定は、まだ出ていません。

通るかもしれないし、
通らないかもしれない。

どちらでも、
次回の朝、同じ階段を登り降りします。

それは、誰にも頼まれていないからです。

  • あなたにも、言うのをやめたことはありますか。
  • それは、まだそこに置いてありますか。

日々の小さな記録は、noteのマガジンにも静かに綴っています。

ひのとみのいしころ|静かに熱い40代の記録

おことわり

本記事は情報提供を目的としており、特定の効果・効能を保証するものではありません。

健康に関するご判断は、必ず医師・専門家にご相談ください。

本記事で使用した画像はNapkin AIを利用しています。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次